[特集]
エイズ孤児の養護に人生を捧げる司祭
2018/08/19 05:38 JST更新
(C) Thanh Nien |
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「私がこの子たちを買わなければ、この子たちはどうやって暮らせばよいのでしょうか」。サイゴン大司教の司祭フオン・ディン・トアイさんは、自らの人生の全てをHIV/エイズに感染し絶望に晒された女性たちや罪なき天使たちに捧げている。
トアイさんは2005年にホーチミン市トゥードゥック区ヒエップビンチャイン街区15通り23番地に開設された、サイゴン大司教傘下のHIV/エイズ患者介護施設「マイタム(Mai Tam)」の施設長を担っている。施設はトアイさんをはじめとするカミロ童貞会(看護・病人扶助を目的とした司祭会)の司祭らが運営しており、HIV/エイズに感染した子供87人とその母親ら、合計300人超が集団生活を送っている。
施設名の「マイタム(Mai Tam)」は、入所者が明るい明日へ繋がる希望を抱けるよう願いを込めて「明日(Ngay mai)」と「心(Tam)」から取っている。マイタムには病気による重々しい空気はなく、人情と信条、人々の笑顔がある。
今から遡ること18年、2000年にトアイさんはタイへ渡り、HIV/エイズ患者の介護施設で医師として従事した。このことがトアイさんのその後の人生を大きく変えた。
ある時、その施設にベトナム人女性が入所した。女性はベトナムからカンボジアに売られ、売春を強いられた後に妊娠発覚と同時にHIV/エイズに感染していることが分かり、売春宿を追い出されタイへ逃れて来たという。
赤ん坊を出産した女性は衰弱し、施設へ収容された。この時、女性を介護したのが施設で唯一ベトナム語が分かるトアイさんだった。女性は亡くなる前、赤ん坊を探し出して故郷に連れて帰って欲しいと懇願し、トアイさんは女性の願い通りにした。
この頃からトアイさんは、なぜ女性がないがしろにされなければいけないのか、なぜこの世に生を受けたばかりの赤ん坊が故郷から引き離されなければいけないのか、自問自答するようになった。
4年後、ベトナムへ帰国したトアイさんは、ホーチミン市教区のHIV/エイズ患者介護施設の管理を任された。市内中の病院を回り、身寄りのない女性患者を訪問しては、薬から衣食住まで世話をした。助けを必要とする人が日を追うごとに増えたため、2005年に施設用としてフーニュアン区に一軒家を借りた。当初は子供5人が入所していたが、翌年には入所児童が5倍に増えたため、トゥードゥック区内のより広い場所に施設を移転した。
トアイさんはまず、夫も家族もいない苦境に置かれた女性を説得することから始めた。女性たちはベッドの上で絶望の中で最期の日を待ち、その日その日を過ごすためのお金を必要としている。そのため、病床の母親たちに売人が赤ん坊の買い取りを持ちかけてくることもある。そんな時の赤ん坊の命はたったの1000万~1500万VND(約4万8000~7万2000円)。この時代に、今尚このような残酷で哀しい人身売買があるだろうか。
赤ん坊たちが売人たちの手に行かないように、間もなく逝く母親に代わり瞳を開けたばかりの天使を育てるため、トアイさんは女性に赤ん坊を自分に「売る」よう説得することから始めた。
トアイさんの願いはただ一つ、お腹を痛めて生んだばかりの我が子を売らなければならなかった母親と「品物」と化した赤ん坊がそれぞれ普通の暮らしを送れるようになること。誰かを責めることはしないが、仮に責めるとするならば「品物」を買い逃した自分自身だとトアイさんはいう。
取引が成立しても病院を出るまでは油断できない。先を越された売人たちが「品物」の横取りを図ることもあるためだ。過去には関連当局に護衛してもらい帰宅したこともあった。
赤ん坊はみな母親を必要とし、母親もまた赤ん坊の泣き顔や小さな手足を目にしてお乳をあげれば赤ん坊を手放したくなくなるのは当然のこと。トアイさんはいつも母親たちに赤ん坊と一緒に施設へ来るよう説得する。「数日間の里帰り産休だと思って、施設で一緒に赤ん坊の面倒を看てください」と。
入所者は300人超に上るが、トアイさんはそれぞれの病状や性格、エピソードを全て把握している。出生後すぐに治療を受けて40日後には完治した子供や、継続的な治療で通常の暮らしを送れている子供が多いが、発見が遅かった場合や免疫力がなく病に勝てなかった子供もいる。
ある女性は病気を発症後に男の子を出産し、亡くなる前にバイクタクシーの運転手に男の子を養育施設へ連れて行ってもらうよう託した。運転手はある男性へ男の子を預けたが、その後しばらくして男性は男の子を施設へ連れて来たという。
男の子は施設に連れて来られる時に男性に贈られたベストをそれはそれは大切にし、学校へ着て通い、誰にもベストに触れさせなかった。しかし、病気は次第に重くなり寝たきりとなった。ある時、入所者が連れ立って結婚式に出席することになり、1人の子が来ていく服がないと寂しそうにしていたところ、男の子は自分のベストを着て行くようにと申し出たという。その数日後に男の子は息を引き取った。
わずか7、8歳の子に誰がそのようなことを教えただろうか。お気に入りの物を、自分が逝く前に他人にあげるということを。例え貧しくても、病に伏していても「人情」は湧き出てくるものであることを、この男の子から教わったとトアイさんは語る。この男の子が教えてくれたことこそが、トアイさんの原動力となっている。
誰かが迎えに来るのを待ち望む子供が多い孤児院と違い、マイタムではそれぞれがお互いの性格を理解し、助け合い、新しい家族として共に暮らしている。
「きみたちの人生は私にとってとても大切なんだ」とトアイさんは毎日子供たちに言い聞かせている。病気を患っているだけでなく両親もない子供たちは、自分たちを大切に思ってくれる人はいないと劣等感を持つことが一番悲しいことだとトアイさんは考えている。少なからず1人は自分のことを大切に思う人間がいるということを知ることで明日への希望を持って欲しいとうのがトアイさんの願いだ。
[Thanh Nien 10:42 16/08/2018, T]
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