[特集]
80の手習い、幼い頃に夢見たピアノの弾き語り目指し奮闘する女性
2018/04/29 06:21 JST更新
(C) Xuan Vinh, Tuoi Tre |
(C) Xuan Vinh, Tuoi Tre |
ホーチミン市ホックモン郡ドンタイン村タンドン集落にある小さな下宿に住むチャン・フイン・スアンさんは、80歳と高齢ながら現役で英語の家庭教師をしている。さらに、ピアノの弾き語りを目指して日々練習中だというから驚きだ。
スアンさんは旧サイゴンのレタントン通り(Le Thanh Ton)の裕福な家庭に生まれたが、幼くして母を亡くした。父は再婚したが継母はスアンさんのことを拒絶し、辛い生活だった。その頃の唯一の楽しみは、当時有名だった歌手たちの公演を観に行くことで、毎晩のように行くほど音楽に魅了されたという。
マリーキュリー(Marie Curie)高校を卒業後はサイゴン文科大学に進学、後に親が決めた相手と結婚したが、夫はスアンさんに暴力を振るう人だった。夫との間に4人の子供をもうけたスアンさんだったが、最後は暴力に耐えかねたスアンさんが子供を連れて家を出た。その後、女手一つで苦労して育てた子供たちはみな結婚し、家族と暮らすようになった。
不運は去ったように見えたが1997年にスアンさんは事業に失敗し破産、さらに次男が自ら命を絶ってしまった。残された3人の子供の負担になるまいとスアンさんは1人あちらこちらの下宿を渡り歩いて暮らし、あまりに困窮した時にはお寺の世話になった。
しかし、数年が経つと、身元保証人になる身寄りもない高齢のスアンさんは長期で下宿を借りることさえ困難になった。現在では、地域の子供に英語を教えてなんとか生計を立てている。
そんなある日、仕事に向かう途中でピアノ教室の看板が目に入り、幼い頃に抱いた音楽への想いが蘇った。悩んだ末にスアンさんはピアノ教室のドアを叩いた。先生は授業がない時に週に数回、市内の音楽センターや生徒の自宅に赴きアルバイトでピアノを教えるホーチミン市音楽院ピアノ科2年の女子大生だ。
先生ははじめ、スアンさんが孫のためにピアノ教室について尋ねてきたものとばかり思っていた。ところが「幼いころからの夢だったものの、ずっと叶わなかったピアノの弾き語りができるようになりたい」というスアンさんの言葉に驚きを隠せなかったという。当初は断ろうとしていた先生だったが、スアンさんの熱意に惹かれて無料で教えることにした。
それからというもの、スアンさんは時間ができると自転車で先生の自宅を訪れピアノを習っている。高齢から耳が聞こえづらく指も思うように動かないスアンさんは「先生、私は覚えるのが遅いけれど見捨てないでくださいね!」が口癖だ。そして毎年11月20日の「ベトナム教師の日」には感謝の気持ちを込めて先生に花を贈る。
家にピアノがなく練習ができなかったスアンさんは、1年ほど通ったところでピアノを買うお金が貯まるまでしばらく通うのを止めると告げた。そして数百万VND(100万VND=約4800円)が貯まると、予算に見合ったピアノを代わりに買ってくれるよう先生に電話した。
電話を受けた先生は、苦労して貯めたお金は生活のために残したまま何とか中古のピアノを手に入れられないか知人をあたったところ、話を聞いたある音楽家がスアンさんにオルガンを贈ると申し出た。オルガンをスアンさんの下宿まで運ぶと、スアンさんは涙を流して先生を抱きしめたという。
腰が曲がった白髪のスアンさんが自転車を漕いでピアノを習いに行く姿を見かけると励ます人が多いが、「あの歳になって、何を今さらピアノなんて」とけなす人もいる。しかし、そんなことを気にするスアンさんではない。誰が何を言おうと、音楽はスアンさんにとって不遇な身の上を忘れさせてくれる、老後の生き甲斐なのだ。
[Xuan Vinh, Tuoi Tre, 21/04/2018 11:01 GMT+7, T]
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