[特集]
苦難を乗り越えハノイで仕立て屋の村を築いた「ハサミの王様」
2016/11/06 05:30 JST更新
(C) Nguoi Dua Tin, ホアさん |
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(C) Nguoi Dua Tin |
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ハノイ市では20世紀初期からスーツの仕立て屋が営業しているが、仕立て職人の多くが同市フースエン郡の「仕立て屋の村」トゥートゥアン村出身であることを知る人は少ないだろう。
仕立て業はトゥートゥアン村からバントゥー村に拡大し、現在では仕立て屋のバントゥー村として観光地にもなっているが、仕立て職人のグエン・バン・ホアさん、ダオ・タイン・ズさん、グエン・ライさんたちの努力と貢献を抜きにその歴史を語ることはできない。
「ハサミの王様」の異名を持つホアさんは76歳、トゥートゥアン村で第3世代の仕立て職人だ。村では農耕が難しく、祖父や父の世代は各地へ出稼ぎに行ったものだったが、1954年に当時13歳のホアさんはズさん、ライさんら複数の若者たちと連れ立って縫製を学びにハノイ市の地を踏んだ。
8月革命(1945年8月)以前のハノイ市は、トゥートゥアン村出身の店主が営む紳士服の仕立て屋が多数存在し、フランス人官僚やベトナム人の上流階級の間でオーダースーツの需要が高く仕立て業の全盛期だった。
しかし、ホアさんたちがハノイ市へ修行に来た時には仕立て業は既に衰退し、第1次インドシナ戦争と相まってスーツを着る人は皆無に等しかった。それでもホアさんたちは故郷の伝統を絶やさないと心に決め修行を続けた。
20世紀半ばになると国内は戦火を増し、ハノイ市で名の知れたトゥートゥアン出身の仕立て屋も顧客を失い次々と廃業に追い込まれた。「我々の世代がハノイ市へ修行に来ていなかったら、トゥートゥアン村の仕立て屋や職人たちは今に残っていなかったでしょう。スーツの仕立て屋がまだ営業しているのを見つけると、ハサミと定規を手に働かせてくれるよう頼み込んだものです」とホアさんは当時を振り返る。
1980年代後半になると、ホアさんはズさんと故郷の若者に声をかけて地元で複数の仕立て屋を開業し、ホアさんの店で第4世代となる若者たちに修行をさせた。またトゥートゥアン村やバントゥー村で若者向けに専門的な縫製教室を開講し、生徒は100人近くに上った。
40~50歳になった当時の若者たちは現在、磨き抜かれた技術で男性用スーツだけでなく、アオザイや女性用のドレスも手掛ける職人になっている。
仕立て屋の仕事にはいくつもの工程があり、完璧なスーツを1着仕上げる技量を身に着けるには長い年月がかかる。13歳で修行を始めたホアさんは、初めの半年はボタンホール開け、ボタン付け、端糸の始末を学び、その後はスーツの袖やズボンの見頃の縫製、各部分の縫い合わせに3年、スーツ1着を縫えるようになるまで6年を要した。採寸・裁断・縫製全ての工程ができるようになるには最低でも10年は必要だという。
長い仕立て職人の人生の中で、ホアさんの一番の思い出は1979年に開催されたハノイ市一番の仕立て職人を決める技能大会だ。ワイシャツ1枚の縫製にかかる時間を競う競技で、ホアさんは2位より10分近く早い36分で1位になり、ゴールデンシザー賞に輝いた。
現在トゥートゥアン村では約200世帯が仕立て屋を営んでいるが、作業スペースの不足が問題になっている。同村職業会は行政当局に同村の事業発展のため用地拡大を請願している。
[Dan Son, Nguoi Dua tin, 11.10.2016 | 06:00 AM, T]
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