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ベトナム戦争時に米軍が散布した枯葉剤の影響で結合双生児として生まれた「ベトちゃんドクちゃん」。2人の分離手術は1988年10月4日、日本赤十字社の医師の立ち会いの下、ホーチミン市ツーズー産婦人科病院で行われた。しかし、2人の子供を分離させるというベトナムでは前例のなかった手術の準備期間には、会議で激しい議論が起こり、外科チームではマネキン人形を用いたシミュレーションが行われた。
「ベトちゃんドクちゃん」の誕生と生命のリスク
1981年2月25日、南中部高原地方コントゥム省サタイ郡で、奇形の双生児が誕生した。「ベトちゃんドクちゃん」こと、兄グエン・ベト(Nguyen Viet)さんと弟グエン・ドゥック(Nguyen Duc)さん(以下ドクさん)の2人だ。兄弟は、腹部と生殖器、肛門部分がつながっており、2本の脚と1本の短い脚しかついていなかった。2人はハノイ市のベトドク病院で治療を受けた後、1982年12月初めまでにホーチミン市のツーズー産婦人科病院へ移された。
1986年半ば、ベトさんが急性脳症のため痙攣の発作を起こすようになり、やがて昏迷状態に陥って植物状態となってしまった。しかし、ベトさんとつながっているドクさんの意識は依然としてはっきりしていた。
2人は日本赤十字社の支援により東京で治療を受けて、3か月後の同年10月29日に再びベトナムに戻った。ベトさんは回復したものの、治療で大脳皮質を損傷し、外の世界を感じるための知覚を失い、食べ物が喉につまったり、無呼吸状態に陥ったりして、何度となく夜中に緊急事態に見舞われた。ベトさんが突然死するかもしれないというリスクは、常にドクさんの生命をも脅かしていた。
2人の命は「天秤」にかけられた。移動が制限されていた微妙な背景下のベトナムで、手術を行うか否か、行うならどの国で行うのか、そして医療レベルの問題だけでなく、時代的な素因も含めて難しい状況だった。
当時ホーチミン市の医学界で「腕利きのキャプテン」と言われていた故ズオン・クアン・チュン医師の果敢な決断のもと、分離手術は初めてベトナムで行われることとなった。全ての医薬品、設備機器は日本が支援した。日本赤十字社の日本人医師らもツーズー産婦人科病院での歴史的手術に立ち会い、サポートを行った。
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前例のない手術に向けた準備
当時ホーチミン市第2小児病院外科部長だったチャン・ドン・アー医師は、外科チーム長という重責を任され、手術の計画案と必要設備機器一覧を作成した。コンサルタント委員会、外科、麻酔、臨床、内科、心血管、器材、リハビリテーションなど、あらゆる分野から手術チームのメンバーが選出された。
「私は1か月かけて手術チームのメンバーを選出しました。誰も双子の分離手術など経験したことがないにもかかわらず、皆が皆、参加を快諾してくれたのでとても驚きました」とアー医師は振り返った。手術チームのメンバーには、バン・タン氏、チャン・タイン・チャイ氏、ボー・バン・タイン氏、レ・キン氏、ブー・タム・ティン氏、グエン・バン・ヒエップ氏など、一流の医師が選出された。
手術の計画案と双子の状態を説明する初回会議は、1988年6月14日に開かれた。それから2人が手術台に上がる日まで、最良の方法を模索して激しい議論のもと会議が重ねられた。総合力という言葉にするのは簡単だが、優れた集団が力になることも、協力して成果を出すことも簡単なことではなかった。
どちらかを助けるか、両方助けるか?手術方法を模索
海外で行われた手術の類例6件の資料を参考にし、多くの疑問が呈された。ベトさんの脳性麻痺は呼吸、心血管、体温調節、ホルモン分泌と神経反射などの機能は維持していたが、状態は安定しておらず、常に危険な状態と隣り合わせだった。そのため、ドクさんを安全に助けるためベトさんを犠牲にするか、2人とも死亡してしまうかもしれないが2人とも助けるか、もしくはドクさんの生存を優先してベトさんにはできる限り手を尽くすことにするか、という多くの激しい議論が行われた。
日本から持ち帰った2人の検査結果によると、腎臓が1つしか記されていなかったため、様々な事態を視野に入れなければならなかった。ツーズー産婦人科病院のレントゲン結果でも腎臓は1つしかなく、かなり下方に位置していた。2人が1つの腎臓を共有していた場合、2人とも助けることは冒険に近い。
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腎臓を2つに分けるべきか?―そうすれば2人とも手術直後に腎不全に陥る。ドクさんに腎臓を残し、ベトさんには人工透析をするのはどうか?―分離手術でベトさんの傷跡は60~80cmに及ぶ。それで人工透析は考えられない。最終的に、もし2人が1つの腎臓を共有していた場合、ドクさんを助けるためベトを犠牲にすることが最も合理的な方法だ、と皆の意見が一致した。そうしなければ、2人とも死亡してしまうだろう。
共有している他の器官について、肛門、生殖器の半分ずつをそれぞれ2つに分けるべきか?多くの人はドクさんに全てを残し、ベトさんには人工肛門を設けるという案を支持した。しかしながら、各器官の半分はベトさんのものでもあり、ベトさんの神経によってコントロールされていることから、ベトさんから切り離すことで壊死しないのか、またドクさんだけでコントロールすることができるのかという疑問も上がった。
多くの医師は、中心で切断しなければ、後に神経系統が拒否反応を起こし、その部位の血流が止まってしまうだろうと述べた。膀胱の手術では、誰もがドクさんにその大部分を残してあげたかったが、もしそれで膀胱が動かなかった場合、神経因性膀胱や憩室症になる危険性があった。
肛門と大腸の奇形に関する数百の症例を参考に、アー医師は「2人の膀胱、生殖器、肛門は中心線でつながっているのではない」という結論を出した。そのため、共有している器官の全部をドクさんに残しても、ドクさんの神経でコントロールできるだろうと予測した。
最終的に、日本で撮影されたMRIとレントゲンの結果が見つかり、その画像から2人がそれぞれ自分の腎臓を持っていることが判明し、骨盤を分割する計画になった。本来、この腎臓の問題についてこれほど多くの時間を割く必要はなかったのだ。
手術計画の準備と並行して、2人を模したマネキン人形が作られ、医師たちが手術のシミュレーションをするのに役立てられた。人形を担いで手術室に入る過程で初めて、扉から双子を中に入れることができないと気づいた。市の指導者は、1か月以内に迫った手術を計画通り行うため、早急に対処するよう要請しなければならなかった。
―後編に続く―
[Le Phuong, VNExpress, 21/1/2016 | 12:03 GMT+7, A]
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