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[特集]

フーティウ屋台の出稼ぎ夫婦と遠く離れた娘たちの物語

2015/10/04 05:28 JST更新

(C) tuoitre
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 街が眠りにつく深夜1時半、ホーチミン市フーニュアン区グエンティフイン通りの一角では、煮えたぎるフーティウ(南部を代表する米製麺)の鍋の傍らで夫婦が静かに客を待っている。  「フーティウは人々の生活を支えるものだから、1日中、夜遅くまで売り続けているんです」。ブイ・クアン ・ビンさん(46歳)の妻、ボー・ティ・ゴックさん(38歳)はそう話し始めた。  21年前、ビンさんは母親に連れられて南部へ移り住み、生活のためにフーティウの屋台を引いていた。この仕事で彼は、「同郷」で「同業」の8歳年下の女性と出会う。この女性こそ、後に妻となるゴックさんだ。  丸20年になるホーチミン暮らしの中で、ゴックさんが決して忘れられないのは、ビンさんの母に子どもを預けて自分だけホーチミン市へ戻る時のことだという。「ホーチミン市に戻る時はいつも、幼い子どもが我慢できず泣き出すのが怖くて、玄関を通らず裏口からこっそり帰ったものです」。  夫婦には4人の娘がいる。上の3人は南中部沿岸地方クアンガイ省ドゥックフォー郡フォークオン村ミーチャン村落でビンさんの母と暮らしているが、2歳になったばかりの末っ子だけは夫婦と一緒にフーニュアン区グエンチョントゥエン通りの小さな借部屋で暮らしている。  以前は田舎に預けた子供が恋しくなると、ビンさんが後ろにゴックさんを乗せて自転車を漕ぎ、郵便局まで出向いていた。そして、田舎で電話のある家に電話をかけて、ビンさんの母と子供に取り次いでもらっていた。今では携帯電話があるが、田舎から電話がかかるたびに夫婦はどきりとする。何か悪いことがあったのではと思ってしまうのだ。  「一番かわいそうなのは長女です。長女は、両親の代わりに2人の妹と年老いた祖母の面倒を見なければならないにもかかわらず、文句の一つも言いません。着るものも、全て人からもらったものですが、私たちが与えたものを何も言わずに着ています」とゴックさんは言う。

 ビンさんとゴックさんも、もう何年も買い物などしていない。2人が毎日着ている服も、近所の人がくれた古着だ。子どもたちと離れて暮らす2人の唯一の楽しみは、毎年度末に成績優秀な生徒に贈られる表彰状を子どもたちがもらってくることだ。  「もしも母がもっと年老いて亡くなってしまったら、田舎へ帰るべきかホーチミン市で暮らし続けるべきか、どうするかというのが目下の心配事です」。午前2時半をまわり、フーティウの屋台を引いて帰りつつビンさんはそう語った。  ビンさんの母と子どもたちが暮らすフォークオン村ミーチャン村落は小さな村だが、1000人を超える村の出身者が全国各地でフーティウを売っている。フォークオン村全体で見ると、約3500世帯がフーティウ売りで生計を立てているという。  ビンさん夫婦の長女フエンさんが8歳になった時に三女ミーさんが生まれたが、両親はやはり子どもを田舎に置いて出稼ぎにホーチミン市へ戻って行った。両親が近くにいないフインさんと次女ミイさんは、幼い妹と腰痛持ちの祖母の面倒を見ることに学校以外の時間を捧げている。  特にフインさんは、食事の用意から妹たちの勉強の手伝い、洋服の繕い物まで、家のことは何でもやらなくてはならない。「私は姉であると同時に、母親でもあります。両親の代わりに妹たちの面倒を何から何まで見てあげないといけません」とフインさんは言う。  ミーチャン村には彼女たち同様、両親が出稼ぎに行ってしまいみなしご状態の子どもたちがたくさんいる。しかし近年では、地方都市にもフーティウが浸透してきたため、出稼ぎ先のホーチミン市から田舎に近い場所へ移る人も多い。ビンさん夫婦は、ホーチミン市に残る少数派だが、今後も子どもたちと離れた状況を受け入れながら、フーティウを売り続けていく。 

[Ngoc Hien, Tran Mai, Doan Hoa, Quoc Nam, Tuoi Tre, 11/09/2015 10:51 GMT+7, A]
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