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[特集]

ベトナム縦断1700km徒歩の旅、若き教師の挑戦

2014/09/07 06:27 JST更新

(C) tienphong
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 気まぐれな天気にも、埃っぽい道路の渋滞にも、彼の意志は揺るがない。祖国の海や島を守るため、基金を立ち上げて寄付を集めるべく、ベトナム全土を自分の足で歩きまわる。歩けば歩くほど、彼の意志は強く堅くなっていく。  たった1つの荷物と共に、ハノイ市からホーチミン市までの約1700kmの道のりを徒歩で縦断する、という長い旅に出たのは、1987年生まれの教師ボー・マイン・トゥアンさん。彼は中部高原地方コントゥム省にあるコントゥム職業専門学校に所属している。  「以前、ガックマー島(南シナ海のチュオンサ諸島、英名:スプラトリー諸島、中国名:南沙諸島)での1988年の軍事演習の映像を観て、ベトナム海軍兵士たちの勇敢さに心を打たれました。それ以来、ベトナムの海のために役に立てることはないかと考えてきたんです。そこで、ベトナム全土を徒歩で縦断して、基金を立ち上げることを思いつきました。今なお困難な状況にある、漁村の人たちを助けたいんです。」  旅に出る前、彼は毎朝毎晩、何時間も重さ15kgの荷物を背負って歩く訓練をした。そして2014年7月19日、ハノイ市バーディン区のバーディン広場を出発した。早朝しかも台風の影響でひどい風雨だったにもかかわらず、多くの友人が見送ってくれた。

 旅を共にする荷物は重さ15kgのバックパック1つだけ。バックパックには、衣類、帽子、薬、少しの食料、ハンモック、ブランケット、雨合羽、そしてベトナム国旗と南シナ海の旗が入っている。日々節約し、旅の資金として1000万VND(約5万円)を貯めた。  風雨の中も、黄色い雨合羽を着て歩き続ける。時折立ち止まっては、フェイスブックで近況をシェアする。「何よりもしんどいのは、やはり天候です。初日は雨が滝のように降り、次の日は気温40度の灼熱の陽気。道も悪いため足は腫れ上がり、歩くのも困難になりました。不幸中の幸いは、応急処置の方法をあらかじめ身につけていたことでしょうか。」  彼は、ただただ歩き続ける。そして、行く先々で友人が増えていく。食事をご馳走になることも多い。とある物売りは、彼の志を知ってパンやらミルクやら強壮剤やらをプレゼントしてくれた。 
 北中部タインホア省のビムソム村では、ベトナム戦争時に北中部クアンチ省の戦場へ赴いていた元兵士と元特攻隊員の夫婦の家で世話になった。トゥアンさんの志を心から理解した夫婦は、別れ際、「一緒に行けないのが悔しいが、頑張ってくれ。」と泣きながら見送ってくれた。

 「あまりの暑さに1kmも歩くと休まなければならない日もあれば、 涼しくて3~4km一気に歩ける日もあります。泊まるところは問題ありません。僕のこの行脚のニュースを知っていたり、あらかじめ知人が連絡しておいてくれたりと、ほとんどの場合すぐに招き入れてくれるんです。人のいないところでは、宿屋に泊まることもありますが」と彼は語る。  多くの人々の関心や支援を得ることができ、感謝の気持ちでいっぱいな一方で、心の中には少し戸惑いの感情もある。この縦断の旅の本来の目的は、祖国の島や海を守るための基金に寄付をしてもらうこと。漁業従事者の子どもたちが学校に通うことができ、親たちが安心して海の仕事にいそしめるようにすることだ。  「私のことを褒め称えるよりも、ぜひ寄付をしてください。」  これが祖国をの海と島を愛する27歳の若者の本心だ。彼は今、ゴール地点であるホーチミン市1区の統一会堂へ向けて、中南部の各省を歩いている。9月末にはゴールできる予定だが、「海と島を守りたい」という彼の志と夢は、これから先もまだまだ続く。 

[Tuan Nguyen, Tien Phong, 06:41 /28/07/2014, A]
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