[特集]
「荒くれ者」の男が国際結婚、カイトボードの王者になるまで
2014/07/27 05:48 JST更新
(C) thanhnien |
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小学校を3年生で退学、酒と博打に明け暮れる日々を送っていた男が、20歳になってようやくベトナム語の読み書きを覚え、カイトボードのトレーナーとなり、高学歴の美しいロシア人女性と結婚。そして2011年、アジアスピードカイトボードの王者となった。
彼の名は、グエン・ゴック・キン。
身長155センチ、日焼けした真っ黒な肌、長髪、刺青、ひげ。彼の風貌はいかにも「荒くれ者」だ。
子供の頃は、地元で彼のことを知らない人は居ないくらいの有名人。学校へ行けば悪さをし、家に帰れば仲間とつるんでうろつき回る。ついに学校を追い出された彼は、貧しい漁師の両親について漁に出るようになった。
学校にも行かなくなり、漁に出ては帰るだけの日々の中、数少ない楽しみは、酒と博打。「公安に呼ばれるのは日常茶飯事だった」と彼は言う。
15歳の時、家を出て南中部カインホア省ニャチャンでエビ漁を始めた。全国各地から集まってきた人々と出会い、金は全くなかったものの、ますます酒と博打にのめり込んでいった。
「気が付けばもう20歳、勉強もできなければ手に職もない。年老いた父親は病気でもうあまり仕事ができなくなった。そこで決心したんだ。」
地元の東南部ビントゥアン省ファンティエット市ムイネーに戻り、カイトボードを楽しむオーストラリア人観光客の手伝いをするようになった。しかし雇い主は、ベトナム語の読み書きもできない彼の無学さを知ってびっくり仰天。
仕事を失うわけにはいかないと、小学校1年生の教科書から勉強し直した。それまで握ってばかりいた拳でも酒でもなくペンを握り、来る日も来る日も根気強く読み書きの練習をした。英語も仕事中に雇い主の言葉を聞いて覚えていった。英語の読み書きはできなかったが、意思疎通ははかれるようになった。
彼の努力を買った雇い主は、カイトボードをただで教えてくれるようになった。漁に出ていた頃に培った、海上でバランスをとる方法や、風や波を読む方法が役に立ち、水を得た魚のようにみるみるうちに上達した。
カイトボードの資格を習得し、たった2、3年で、ベトナムでは数少ない国際資格を持つトレーナーに成長した。そしてカイトボードの大会「キング・オブ・ムイネー」で優勝を重ね、カイトボードの王者として有名人になった。
2011年、世界25か国から100人以上が参加するKTA(カイトボード・ツアー・アジア)が開催された。6か国で開催され、6回の総合得点で順位が競われる。彼は4回しか参加できなかったというハンデをものともせず、スピード得点で1位、技術得点で3位、総合得点で3位という輝かしい結果を残した。これによって、彼はフリー・カイトボード部門の世界ランキング72位にランクインした。
彼の人生はこれだけではない。始まりは2006年のことだった。大学で2つの学位を取得したロシア人デザイナー、アナスタシア・レベディーバさんは、彼にカイトボードを教えてほしいと頼んだ。真っ黒で背の低いキンさんと、金髪で長身(おまけに美人)の彼女。どういうわけか2人は惹かれ合い、2年後には、ドンとヴァンという双子が誕生した。
金髪の2人の子供が他の子供達とベトナム語で喧嘩しながら、時折ロシア語を話している。そんな様子を見守りながら、部屋の中でパソコンに向かってメールやフェイスブックに返信し、時折流暢な英語で電話している。彼がかつては荒くれ者で、ベトナム語の読み書きもできなかったなど、誰だって思いもよらないだろう。
これまでに彼は、地元の貧しい人々にカイトボードを教え、安定した職に就かせてきた。「カイトボードがなければ、今頃刑務所に入っているか、どこかで野垂れ死んでいただろう。今は暮らしも良くなったし、孤児やストリートチルドレンにカイトボードを教える教室を開きたいんだ。これで終わりだとは思っていない。まだまだ新しい自分に出会えるはず。」キンさんの人生はこれからが始まりだ。
[Nguyen Tap, Thanh Nien, 24/06/2014 12:10, A]
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