[特集]
貧困のどん底から豪邸の主に、映画のような人生
2014/03/23 08:33 JST更新
、現在のハンさん |
(C)Tuoi tre, ドキュメンタリー映画「Chuyen tu te(英題:Living As One Should)」の一場面 |
30年近く前のドキュメンタリー映画「Chuyen tu te(英題:Living As One Should)」の中で、ハンセン病に罹患したとされる女性が小さな息子ために家を残して置きたいと、指のない手で毎晩レンガを積み上げてゆく姿が描かれていた。当時40歳だったチャン・ティ・ハンさんは、今70歳近くになり、息子の家族と共に幸せに暮らしている。
ハンさんは1967年に経理学校を卒業すると、すぐに戦場での仕事を志願した。3年後、マラリアにかかって死にかけ、北部で経理関連の仕事に就いたが、1972年には空襲を避けるため、旧ハタイ省(現在のハノイ市)から夫の故郷に移った。
生活は困窮し、息子のトゥー・アインを紅河デルタ地方タイビン省にいる自分の母親に預けて暮らしていたが、やがて夫が別の女性と姿を消してしまった。さらに、その頃から手の指が膨れる病気にかかり、指が動かなくなった。
実家に帰っても病気を治療することもできないハンさんは、痛みに耐え切れず、刃物を真っ赤に焼き自分で膨れた指を切断した。その手を見た人々の間で、彼女はハンセン病ではないかとの噂が広まり、村当局はハンさんを病院に強制収容した。医師はハンセン病ではないと診断したが、村に帰っても噂は収まらなかった。
ハンさんはアインさんを連れて紅河デルタ地方ナムディン省に移って、野菜を売り歩いた。わずかばかりの資金が貯まると、故郷に戻り小さな沼のある土地を買い、掘っ立て小屋を建てた。苦しい生活に絶望したハンさんは、自分が死んだら息子を孤児院に入れるよう母親に書き残して入水自殺しようとした。ところが漁をしていた老人に助けられ、励まされる。
ハンさんは病気で死ぬ前に、アインさんに家だけでも残したいとレンガを積み始めた。映画に描かれたのはその頃のことだ。生きる希望を見い出した彼女は、沼で魚を庭で豚を飼い育てた。経理の知識もあって徐々に生活が楽になり、1990年代前半には2階建ての家を建てた。
アインさんもハノイ国民経済大学に入学し、万事順調に行くかと思った矢先、アインさんが低酸素脳症にかかってしまう。ハンさんは病院を駆けずり回って、アインさんを回復させた。彼は数年前に結婚し子供にも恵まれ、さらにシロアリ駆除会社を設立した。
その後ハンさんは村一番の豪邸を建てて、ようやく苦しい過去を乗り越え、幸福を手に入れた。だが、最も嬉しいのは豪邸に住めることではなく、息子が立派に成長したことだという。敷地の片隅には、映画に出ていたあのレンガ作りの家が今も遺跡のように残されている。
[Tuoi tre online,19/02/2014 13:06 (GMT + 7),O]
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