[特集]
名作映画「無人の野」に出演した名子役・・・あの子を探して
2013/05/05 08:33 JST更新
(C) Dantri,主演女優グエン・トゥイ・アン(左)とグエン・バン・トゥアン(右) |
(C) Dantri, 現在のグエン・バン・トゥアンさんと家族 |
ベトナムの映画史に燦然と輝く名作「無人の野」(1980年)。1981年にモスクワ国際映画祭で金賞、国際映画批評家連盟賞(FIPRESCI)を受賞した長編劇映画である。グエン・ホン・セン監督の手腕や出演者の名演、チン・コン・ソンの美しい音楽などが高い評価を受けた。しかし、この映画を観て最も心に残るのは主人公夫婦の息子として出演していた当時生後9か月の赤ん坊だろう。映画の公開から30年余り、私はかつての「赤ん坊」を探す旅に出た。
メコンデルタ地方のロンアン省、ティエンザン省、ドンタップ省に跨る「ドンタップムオイ地域」。かつては米軍からの爆撃にさらされ荒廃しきった土地だった。この地に住む貧しい一家の子供。それ以外に「彼」に関する情報は殆どなかった。私は「彼」の手掛かりを求めて、映画に出演していたというダン・チュム・タム氏(当時ロンアン省モックホア郡人民委員会主席)に話を聞きに行くことにした。
既に80歳を過ぎて引退しているタム氏だったが、私の質問に対して、はっきりとした口調でこう答えた。「あの子役の名前はグエン・バン・トゥアン。グエン・バン・ベトの息子で、あの映画の監督を務めたホン・センは彼の叔父にあたります。今はホン・センの故郷であるタンフン郡ビンブー村に住んでいます」
映画の「彼」の姿を思い起こしながら、タム氏は興奮気味に語ってくれた。「あの子役こそ真の役者です。主人公夫婦が立たされた苦境や彼らの不屈の精神はあの子によってより強調されている。米軍の飛行機が来るシーンでは、子供をナイロンの袋に入れて水に沈めたり、子供が水に落ちたりするシーンもあります」
私はタム氏の言葉を頼りに、ビンブー村を訪れることにした。村民に尋ねたところ、この村で「彼」を知らない者はいないという答えが返ってきた。村に入り、さらに5キロほど進んで川を越えたところで1人の村人が教えてくれた。「あそこに見える新しい家が彼の家で、隣に建っている古い家がホン・センの家です」
私が「彼」の家を訪ねると、彼の母親と奥さんが迎えてくれた。「トゥアンは今、畑仕事に出ています。父親のベトは外で飲み仲間とお酒を飲んでいるところです」家には元気そうな子供がいて「お客さんだよー!」と叫びながら走り回っていた。
ベトさんが帰宅すると、まるで古くからの友人のように暖かく迎えてくれた。「私もあの映画に出演しているんだよ。ゲリラの役でね」。しばらくすると、トゥアンさんが畑仕事を終えて帰ってきた。かつての赤ん坊は、いまや逞しい34歳の男性に成長していた。彼の手には綺麗に束ねられた稲が握られていた。
ベトさんが「新聞記者の方が来ているぞ」と告げるとトゥアンさんは少し恥ずかしそうにした。話かける隙もなく、2人の子どもが「父さんが帰ってきた!」と言って駆け寄り、すっかり父親の顔になった「彼」に纏わり付いて放れなかった。
ドンタップムオイ地方では日が暮れるのが早い。訊きたいことは山ほどあったが、雲行きも怪しくなってきたので、「そろそろおいとまを」と告げたところ、「町まで30キロはある。日も暮れてきたし、雨も降りそうだから、今夜は泊まっていったらどうかね?」とのベトさんの言葉があり、折角なのでそれに甘えることにした。
ベトさんが兄弟や友人たちを呼び集めると、あれよあれよという間に宴会が始まった。村の男達は皆酒豪揃いで、飲めや歌えの大騒ぎとなった。ドンタップムオイ地方の夜は静かで、私たちの宴会の音だけがどこまでも響いていくかのようだった。そして、酔も回った頃、トゥアンさんはようやく自らのことを話してくれた。
彼は大きくなってから映画を観て感動し、叔父と同じ芸能の道を歩むことを夢見たという。成長したトゥアンさんは村でも評判の男前になり、その笑顔は憧れの叔父に似ていた。17歳になるとサイゴンに出て、叔父の援助を受けて俳優になる道を目指した。しかし縁がなかったのか、叔父はその後すぐ病気になり1995年に他界した。
拠り所をなくしたトゥアンさんは故郷に帰って農家を営むことにした。結婚し子供をもうけて、畑仕事に励む毎日を過ごしていくうちに、かつての夢は若き日の思い出へと変わっていったという。
「後から思うと幸運でした。俳優の仕事は不安定で生活も苦しいと聞きます。今の私の暮らしは安定している」ベトさんによると、トゥアンさんは現在、10ヘクタールの田んぼと脱穀機、田植え機を保有し、その資産額は30~40億ドンに上る。南部解放後、僅か1ヘクタールの田んぼしか持たず、貧しい生活をおくっていたベトさんにとって、トゥアンさんは自慢の息子だという。
母親は当時栄養不足のせいで乳があまり出なかったので、重湯を足さないといけなかった。そのためトゥアンさんは痩せた子供だったが、今となってはこの地の大富豪だ。皆30年以上も前の話を、つい昨日のことのように話してくれたのが印象的だった。
[Dantri 05/10/2012 - 15:29U]
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