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[特集]

運命に負けなかった盲目の青年とその妻の話

2012/05/20 08:02 JST更新

(C)DDDN
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 紅河デルタ地方ティエンルー郡ジチェー村に住むホアン・クオック・ベトさんが掴んだ現在の成功は、視覚障害を抱えながらも決して嘆かず努力を怠らなかった汗と涙の結晶だ。「人間が持つ五感の内、最も失うのが恐ろしいものは?」と聞かれれば、恐らく大半の人が視覚と答えるだろう。「光の無い世界」で暮らすということは、想像するだけでも恐ろしくなるものだ。  ベトさんにとっての救いは、妻であるレ・ティ・タインさんの存在だろう。彼女の話になると、とたんに表情が緩む。「彼女の強さと明るさがあったから辛いことも乗り越えられたし、今の幸せがあると思っています」そんな彼女も彼と会う前はある意味、光を失った世界の住人だった。タインさんはベトさんと結ばれる以前は未亡人だった。結婚式の3日前、花嫁を迎えにくる途中の事故で彼女は夫を失った。知らせを聞いた彼女はショックで気を失ってしまったという。  その頃、ベトさんのお父さんはタインさんの家の近くで漢方医をしていた。悲嘆に暮れて、生きる活力を失ってしまった彼女を見て、自分の息子と一緒になってはどうかとすすめた。かたや夫を失った若き未亡人、かたや生まれつき視覚障害を持つ男性はこうして運命に引き寄せられるように結びつけられた。「妻は町で噂になる程の美人でした。彼女のような人と結婚できたのは本当に幸運です」ベトさんは破顔一笑、そう語った。

 双方の家族に少しだけ助けてもらい、二人は新婚生活を始めた。新郎の両親は50キロの籾を、新婦の両親はつがいの豚と100キロの籾をそれぞれ贈ってくれた。それを精米して生計を立てているうちに、いつしか二人は米穀商になっていた。生活は苦しかったが、優しい夫に支えられ、タインさんの顔には笑顔が戻っていった。食事は砕けた米と野菜のおひたしだけ、それでも二人は幸せだった。そのうち子どもが生まれ、生活のために酒造も始めた。  2000年、まだ幼い子どもを親戚に預け、二人はタイへ出稼ぎに行くことを決意する。妻が夫の目となって、夫婦はありとあらゆる仕事をした。焼けるように暑い日のヤシの実取りや魚の養殖の仕事をしたこともあった。そうやって僅かなお金を稼いでは国の子どもに仕送りする日々。故郷や子どものことを思って二人で泣くこともしばしばだったという。「故郷が恋しくて荷物をまとめかけたことも何度もありましたが、夫の励ましがあったので頑張ることができました」タインさんは当時を振り返って、そう語った。  タイから戻ると、牛や豚の飼育や酒造が軌道に乗り、かなりの貯蓄になった。ベトさんはこの資金を元手に、タイで学んできたウミガメとワニの養殖を始めるという、ずっとあたためてきた計画を話してくれた。「二人の子どもたちはちゃんと目が見えて、息子は機械工として働き、娘は今学生です。来年には牛を売って息子のために土地を買ってやるつもりです」そうやって語るベトさんの両目は、確かに輝いているように見えた。 

[VNN DDDN 17/01/2012 - 12:57U]
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