[特集]
身体障害の装具技師が「人生に恩返し」
2011/11/13 08:21 JST更新
(C) Nguoi lao dong, Anh Thu |
ホーチミン市整形リハビリテーション病院の装具作業場の技師ホー・ティエムさんは、身体障害者用の矯正靴を専門に作り続けている。ティエムさん自身、両足が不自由でろうあ者でもある。ティエムさんの手話は同僚技師のレ・ズイ・ミーさんが通訳してくれた。
ティエムさんは1952年に、南中部クアンナム省の貧しい農家の長男として生まれた。1968年にベトナム戦争で父親が戦死すると、弟妹を養うため母親と共に畑を耕した。しかしそれから1年も経たないうちに畑で不発弾が爆発して重傷を負った。その時から彼は両足が不自由になり、聴力も失った。
翌1969年末に、子供の人権保護団体である非政府組織(NGO)「テールデゾム」の支援により、他の子供達と共にドイツで治療とリハビリを受けた。ティエムさんは矯正靴の製造技術の指導を受けて、4年後に故郷に戻り新しい人生を歩み始めた。
それから約40年間、装具作業場の革と接着剤の匂いの中で矯正靴を作り続けた。足に障害を持った子供達が、自分の作った矯正靴を履いて歩く姿を見るのが何より幸せという。ティエムさんは「自分はテールデゾムの医師たちに助けられ、新しい人生と腕に職を得る事ができた。だから自分にはこの仕事で、不運な子供達を助ける責任がある。人生への恩返しのようなもの」と語った。
矯正靴の製造は全て手作業で、1足作るのに何日もかかる。障害を持つ人の条件に合わせて個別に作る必要があるからだ。「それぞれの靴は、障害者の普通に歩いてみたいという夢でもある」とティエムさん。
ティエムさんは身体障害者で、1日の労働時間は7時間と定められている。しかし矯正靴を履いて歩きにくそうにしている子供を見ると、残業してでも作業する情熱家だ。ある時、脳性麻痺と両手両足が不自由な子供の靴を作る事になった。ティエムさんがしゃがんで靴のサイズを測るたびに髪の毛をつかまれるが、まったく気にせず笑っていたという。
ティエムさんは28歳の時にろうあの女性と結婚し、3人の子をもうけた。3人とも既に成長して仕事をしており、孫もできた。苦労の多い人生だが、自分で幸福を作り出したと言えるだろう。彼は患者のために矯正靴を作るほか、自分で自分の矯正靴も作る。2年に1回は作り直す必要があるという。ティエムさんは「これは自分へのご褒美だよ」と微笑んだ。
[Nguoi lao dong online, 22/10/2011 21:45, O ]
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