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[特集]

「クレイジーハウス」の建築家ダン・ベト・ガー

2011/09/04 08:35 JST更新

(C) Tien phong, Tran Nguyen Anh
(C) Tien phong, Tran Nguyen Anh
 中部高原ラムドン省ダラット市にある通称「クレイジーハウス」は、奇妙な外観のホテルとして外国の建築家や観光客には有名だが、「オーナーがベトナムの著名な政治家の娘」ということでも知られている。オーナーの建築家ダン・ベト・ガーは、確かにベトナム共産党の理論家で党中央委員会書記長を務めたチュオン・チン氏の娘だ。  チュオン・チン氏は党中央委員会書記長を2度務めた唯一の人物で、1986年にドイモイ(刷新)路線に道を開いたことから「ドイモイの書記長」と呼ばれる。ガーは父親について、「父は私たちに何を学べとか何をしろと言いませんでした。私がアート的な建築家の道を選んだ時、父は反対するどころか支持してくれました。父は金銭的な財産は残しませんでしたが、仕事に熱心な態度という大切なものを残してくれました」と語った。  子供の頃から家を離れて生活したため、ガーには自然に独立精神が身に付いたようだ。1951~1954年に中国のベトナム人小学校で学び、その後ソ連に渡り中学校から大学院まで学生として暮らした。大学院修了後にハノイに戻って政府機関の建築設計研究所で働くが、1983年にダラットに移り住むことを決断する。  当時のダラットは今とは全く異なり貧しい町だった。中央での仕事を捨てて田舎に引っ込むという彼女の決断は、周囲の人たちから理解されなかった。やがてドイモイの風が吹き始め、個人の創造力にも関心が向けられるようになる。彼女の独特の建築は、人々の議論の的になった。

 ガーを常に支持してくれていたチュオン・チン氏は1988年に急死する。それは彼女にとってショックだったが、自分自身と対面し生活を見直すきっかけになった。自分がやるべきことを為す時がきたと思った彼女は、準備期間を経た1990年に「ハンガーの別荘」を着工する。  建築に対する見方を変えたいと考えたガーは、通常の長方体の建物ではなく巨大な木の幹に無数の穴が開いたような奇妙な外観の建物を作った。そのため「ハンガーの別荘」は「ツリーハウス」や「クレイジーハウス」と呼ばれるようになった。しかしダラットの景観に合わないとの声が高まり、取り壊されそうになったこともあった。「クレイジーハウス」をガーが買い取ることになり、危うく難を逃れた。  「クレイジーハウス」は2007年になってようやく建築物として当局に認可された。今では年間10万人が訪れる観光スポットになっている。ただ、今も建築は続行中だ。ガーは最後にこう語った。「これは決して完成しない作品です。創造こそが私の喜びですから」(敬称略)  

[Tien phong online, 06:49 | 21/08/2011, O]
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