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[特集]

半身不自由な女性傷病兵、47年前の約束果たす

2011/08/21 08:39 JST更新

(C) Lao Dong, L.T
(C) Lao Dong, L.T
 メコンデルタ地方ドンタップ省ラップボー郡ロンフンアー村に住む女性ダン・ティ・バイさん(66歳)は、ベトナム戦争従軍中に銃弾を受けて半身の手と足が不自由な傷病兵だが、今も村内を回って宝くじを売り歩いている。  バイさんは今年の旧正月、ロンフンアー村人民委員会の幹部に、烈士(戦死者)の墓苑整備のために7000万ドン(約28万円)を寄付したいと申し出た。幹部は、同村には既に144基の烈士の墓があるかなり立派な墓苑があったことから、「ご自分の老後のためにとっておくように」と説得した。  しかしバイさんは、「家や畑を売ったり、人から借りたお金ではなく、自分がこつこつ貯めたお金だから安心して使って欲しい。47年前に交わした仲間たちとの約束を果たすことが、人生後半の希望だった。実現しなければ死んでも死に切れない」と逆に幹部を説得した。  こうして144基の烈士の墓は全て高級タイル貼りの美しい墓に生まれ変わった。ラップボー郡のグエン・ティ・トゥー・ホン元労働傷病兵社会課長は「7000万ドンは農村では少なくない金額だ。特にバイさんのように傷病兵で、3人の子供を引き取って育て上げた人にとっては」と語った。

 バイさんは1958年、13歳のときに兄と共に革命事業に参加。1964年にベトナム労働党(共産党の前身)への入党が認められた。この時同時に入党した20人の新党員は「祖国が独立した時に、生き残った者が死んだ仲間の墓を作る」ことを約束し合った。  バイさんは、1968年のテト攻勢の際に敵から受けた砲弾で頭部を負傷し、生死の境をさまよった。幸い命は取り留めたが、半身に麻痺が残ったため、その後は後方支援部隊で働いた。祖国統一を向かえた時には、新党員の仲間20人のうち生き残っていたのはバイさんだけだった。  1979年に除隊したバイさんは仲間との約束を果たす方法を探っていたが、その頃兄弟が子供を残して亡くなったため3人を引き取って育てることになった。傷病兵の年金だけで食べていくのは大変だった。1990年からは生活費を稼ぐため、宝くじを売り始めた。  バイさんは貧しい生活の中でも、ずっと豚の貯金箱で貯金を続けていた。2010年末に満杯になった貯金箱を開けると、思いがけず7200万ドン(約28万8000円)が貯まっていたという。3人の子供達は成長し既に働いている。200万ドン(約8000円)でささやかなお祝いをして、残りを約束を果たすために使う事に迷いはなかった。バイさんは「元気な間は働かなくては」と今日も宝くじを売り歩いている。  

[Lao dong online, 22.7.2011 | 09:01 (GMT + 7), O]
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