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ベトナム系カナダ人のラン・ジエン女史は、故郷で貧しい生活を送る人たちを支援する多くのプロジェクトに、多大な額の支援をすることに心血を注いできた人物として知られている。 1960年当時、サイゴンで女学生だった彼女は、その後の人生を180度変えてしまうような一大決心をする。「女の子は時期が来たら家庭に入るものだ」という両親の意に従う代わりに、グエン・ティ・スアン・ラン(ラン・ジエン女史の子供のころの名前)は留学を決意したのだ。「たとえ女の子でも立派な人間になることはできる」。ランはそのことを自ら証明したいと思ったという。 看護学を学ぶためにアメリカの大学へ入学したが、それは当時のベトナムでは非常に珍しいケースだった。4年後に無事卒業し、コロラド州デンバー市のロレット・ヘイツ校の奨学生に選ばれたが、アメリカに留まることはせず新たな土地へと旅立つ。1965年、ランはアフリカはチュニジアのチュニス大学で生物学を学ぶ。ここでの授業はすべてフランス語だった。 1965年から翌年にかけて、ランはパリのジョフリー・サンイレール病院で婦長を務め、ここで彼女は運命の男性と出会う。チャン・チョン・ジエン教授、国際的に有名な物理学者だ。2人は結婚し、カナダへ渡る。ここで彼女はラン・ジエン夫人と呼ばれるようになるが、学問を続けるためにアメリカへと戻る。1971年、彼女はニューヨーク大学で統計学を修め、さらに3年後にはコロンビア大学で看護修士を取得する。1991年にはロンドン大学で看護学の博士号も取得した。 カナダへ戻ると、彼女はニューファンドランド記念大学における国際看護学センターの設立に関わる。その後も次々に社会的な運動や研究に従事し、看護学界における知名度を上げていった。彼女は同業者からも尊敬され、看護学に関する多くの団体の指導に当たった。カナダのアトランティック地域における看護系大学協会の会長を務めたこともある。また、貧しい人々や社会的弱者の権利を守る活動にも積極的に参加してきた。2000年からはカナダにおける移民女性の権利を守る組織の代表を務めている。さらにHIV予防運動にも参加している。 一方、夫の方もまた別のやり方でベトナムに貢献している。物理学者として彼の名は世界中で有名だが、彼はそれをベトナムの若き学生のために役立てようとしたのだ。「国家は人なり」という信念にのっとって、彼はベトナムの学生を海外に留学させて修士号や博士号をとらせることに協力した。また、彼は常に妻の活動を支え続けた。 ラン・ジエン女史は今も祖国の貧困を減らし生活水準を向上させる活動を精力的に行っている。ベトナムの地方におけるヘルスケアワーカー訓練プログラムは、農村地域で看護師を養成するための活動で、彼女自身が提唱したものだ。この活動は2004年に、すぐれた国際開発プログラムに贈られるビル・マックウィニー・アワードのトップ5に選出された。 2002年から2007年にかけては、健康状態の改善によって貧困を解消するプロジェクトに参加した。また、2005年から2010年にかけて実施されている農村の貧困集落に対する医療サービス向上プログラムにも参加している。彼女はまさに「ベトナム支援の専門家」と呼ばれるにふさわしい人物と言えるだろう。
[2007年4月27日 Thanh Nien紙 電子版]
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