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彼らは病院で出会い愛し合うようになるが、その時にはもう女の方は重い病気に侵されていた。女は故郷へ帰り2人は離れ離れになるが、その愛は消えることなく、男は1000キロの距離を越えて女を探し当てる。そして彼女を手厚く看病し彼女は幸福に包まれる。しかし残された時間は刻々と短くなっていく。映画のストーリーのようだが、実際の話だ。
グエン・ティ・フーン(27歳)は、北中部地方ゲアン省の省都ヴィン市から100キロ離れた山の上にあるザーデー村に住んでいる。彼女が横たわるベッドの傍らには男性が座っている。彼の名はチュオン・ヴァン・チン(28歳)。
2000年9月、ホーチミン市で兵役に服していたチンは病気になり、フーンと同じ病室に入院した。その頃フーンはビンズオン省ソンタン工業団地の靴工場で働いていたが、同じく病気になり入院していた。親交を深めるうちに、2人は愛し合うようになる。
2001年になるとチンは軍を退き、ホーチミン市で職探しを始めた。フーンも退院して職場に復帰した。しばらくしてチンはフーンをメコンデルタ地方の故郷へ連れて行き家族に紹介する。あとは結婚を待つのみの幸せな日々だった。しかし2003年の初め、突然フーンの病状が急激に悪化。入院して検査を受けた結果、脊髄の血管に腫瘍があることが発覚する。チンは毎日病院へ通い看病を続けたが、フーンは次に移った病院で自分の病気が不治の病であることを知らされる。
フーンは苦しみぬいた上で、チンには知らせずに故郷へ帰ることにした。死に直面したフーンを見捨てることができず、チンは何とかお金を作って彼女を病院に連れ戻したが、2006年3月、彼女は医者からも見放される。この時は、フーンはきちんとチンに別れを告げた。
「誰しも愛する人には幸せになってもらいたいものだわ」とフーンは私の方を向いて言った。それを聞いてチンはフーンの手を取り、「でも病気の君を一人で帰らせるなんて耐えられなかった」と言う。
それぞれの故郷に帰ってからも、2人は悲しみを引きずり続けた。そして何カ月かが過ぎ、チンは家を出てフーンを探しに行くことを決心する。彼女の「さよなら」がどうしても信じられなくて、彼は来る日も来る日も彼女を探し続けた。
2003年10月のある朝、フーンがベッドに横になっていると犬が鳴く声がするので振り返って見ると、そこにはチンがいた。彼女は起き上がって彼を抱きしめたかったが、体が動かない。チンはフーンをしっかりと抱きとめ、2人は子どものように泣いた。フーンの父母は突然の出来事にただあっけにとられるばかり。
「私たちははじめ彼のことを疑いさえした。今の時代にこんな奇特な人がいるなんて誰が信じられるだろう。元気な娘ならともかく重い病気を患っている娘を追って、南部からわざわざこんな所まで来るなんて・・・」。フーンの父親がこう語ると、チンは目に涙を浮かべながら、「ベッドに横たわる姿を見た時、それが彼女だとはとても信じられなかった。離れていた4カ月の間に47キロあった彼女の体重は30キロにまで減っていて、その姿は変わり果てていた」と振り返る。
フーンは明るく笑い、「何が起ころうと楽しんで生きていくわ。なによりも、愛する人がここにいるんだもの。私は世界一の幸せ者よ」と力強く言う。 チンが傍らでこんな歌を歌った。「もう泣かないで、僕がそばにいて涙をぬぐってあげよう。そしていつまでも一緒に生きていこう。僕の君への想いが、君を幸福の国へ導くように・・・」
それ以後チンはフーンの家に住み、畑仕事や家畜の世話を手伝って過ごしている。そしてどんな時もつきっきりで彼女を看病し、独学で学んだマッサージをしてやったりしている。時には歌を歌ってあげたり、面白いことを言って笑わせたりもする。
庭に咲く花を眺めながら、フーンが言う。「紫色は誠実の色よね?まるであなたみたい」。2人はほほ笑み合い、「私たちの気持ちをどんな言葉で表せばいいのかしら。考えてもらえません?」と私に言い、最後にこう付け加えた。「ただ、あまり先が長くないから、急いでね」
[2006年11月23日 Sai Gon Giai Phong紙 電子版]
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