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[特集]

日本:着物の国にアオザイを

2006/08/13 07:17 JST更新

 19年間異国の地で暮らしていても、故郷の心は決して忘れるものではない。着物の国で、いつの日か自国のアオザイが認められることを夢見るベトナム人女性がいた。  トン・ティ・キム・ディン、1961年フエ生まれ。フエ医学大学を卒業後、1978年に夫とともに日本へ移住。彼女は東京の服飾専門学校で学び始め、そのうち「ベトナム式に日本の女性を美しくすることができないだろうか。」と思い始める。そして1997年にはショップ・ベトナムを開店。店は都内でも最もにぎやかな新宿の中心にある住友グループビルの51階に入っている。「まだベトナムのことがあまり知られていない時分には「ベトナム人がこんな所に店を?」と驚かれたわ。アオザイは一時の流行としか見られていないのが悲しかったから、日本人にもっとアオザイの美しさを知ってもらおうと思ったの。」と彼女は語る。  彼女は国へ帰り、自分の要求するレベルにかなう縫製ラインを設立し、デザイン、生地選び、技術指導まで自ら行った。その工場では、日本の客を意識し色や模様、縫製など細部までこだわりのあるアオザイが作られている。しかし、もちろん問題は少なくない。スピード社会の日本において、生地選びや採寸などに何度も通う必要があるアオザイの仕立てスタイルはなかなか受け入れられなかった。そこで彼女は研究を重ね、日本人女性の体型にあわせた既製品のアオザイを作った。今では一つ一つ手で刺繍が施され手いる上、サイズも形も豊富なので大変好評を得ている。  ショップ・ベトナムは次第に有名になり、2000年に品川で行われたアオザイ・ファッションショーの後、さらに広く知れ渡るようになった。新聞各紙、ラジオ局、テレビ局などがこぞってショップ・ベトナムのアオザイを紹介した。2005年の2月、キムは朝日カルチャーセンターの講師として招かれ、日本の女性にアオザイを紹介するレクチャーを行った。さらに記念すべき出来事は、2002年2月のアジアン・パーティー・ドレス・フェアでアオザイが初めて登場したことだ。このフェアは、Seibu Tokyo commercial centerが大掛かりな販促キャンペーンの一環として実施しているもので、ショップ・ベトナムは直々に指名され招かれた。これによってアオザイの知名度は一気に高まった。  今や店の名は全国で知られるようになった。客の9割は日本人で、残りは西洋人観光客だ。歌手の冴木杏奈はアオザイをすっかり気に入って、カレンダー写真をアオザイ姿で撮るためにベトナムを訪れたほどだ。  彼女はとても多忙だが、アオザイのことに関しては疲れを知らないようだ。「一つ一つのアオザイは製品ではなく作品なの。」と彼女は言う。施された刺繍はどれも美しいだけでなくとてもリアルだ。それについて彼女は「刺繍をしているのは若い縫い子さんたちなのよ。」と紹介する。共に働く仲間たちを尊重する心も、成功につながる秘訣なのだろう。 

[2006年7月1日 Tuoi Tre紙 電子版]
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