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オーストラリアの東に位置するフランス領の島国、ニューカレドニア。「天国に一番近い島」として知られるこの国にベトナム人が初めてやって来たのは、1930年代のこと。ニューカレドニアは世界有数のニッケルの産地としても有名で、その当時ベトナムを占領していたフランスが、鉱山労働者としてベトナム人を送り込んだのが始まりだ。現在ベトナム人は、ニューカレドニアの人口の1.6%を占め、経済的に成功している人も多い。 「太平洋のパリ」とも称される首都ヌメアで自動車販売店を営むブイ・ティ・エンさんも、そんな成功者の一人。彼女は移民二世にあたるが、この世代のベトナム人移民のほとんどは、ベトナムにいるベトナム人と同じようにベトナム語を使いこなせると言う。ブイさんの両親の世代は、毎晩教室を開き、若者たちにベトナム語を教えた。「家の中ではベトナム語しか使いませんでした。わたしもいま、自分の子供たちに同じようにさせています。でも子供たちは話すことはできても、読み書きはあまりできません。」 同じヌメア市内で食料雑貨店を営むグエン・クオンさんは、移民当初の苦難の頃を思い出して語る。「当時のベトナム人移民に対する扱いはひどいものでした。死ぬほど働いても、しょっちゅう殴られたものです」。ディエンビエンフーの戦い(1954年)でフランスがベトナムに敗れた後は特にひどく、フランス人はベトナム人移民に報復しようと、ベトナム語教育を禁止したり、ベトナム人移民の車に爆弾をしかけたりと、嫌がらせをしたという。 こうした行為に端を発し、ベトナム人移民の間で帰郷運動が興った。最終的にフランス政府は、約 5000人を国へ帰すことに同意。しかし、ベトナムへ帰ることができた人の多くは、自国の厳しい状況に失望することになる。「先に帰郷した人々は、これからベトナムに戻ろうとしている人たちに、島にとどまるよう、何とかして知らせようとしました。でも手紙は全て検閲されていたので、伝える手段がなかったのです。」 1980年代に入ってようやく、その当時ベトナムへ帰郷した人々の子孫が、ニューカレドニアの親類たちと会うことができるようになる。中にはベトナムから家族を呼び寄せ、暮らしている人たちもいる。現在、ニューカレドニアのベトナム移民コミュニティーでは、教会や寺といった宗教施設を維持するとともに、ベトナム移民が集まる「ベトナムセンター」を設立し、ベトナム語や武術などを教えている。 フランスの海外領土であるニューカレドニアでは、以前から議論されている独立問題や、都市部周辺では治安の問題もある。しかし、今回取材したベトナム人移民はそろって、「ここでの暮らしに満足している」と言う。この島が「天国に一番近い島」だから? 彼らが実際の年齢よりもずっと若く見えることを考えると、それも本当なのかもしれない、と思えてくる。
[2005年11月15日 BBC Vietnamese.com]
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