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空軍士官だった夫が死んだという知らせを受け、ゴアンさんは自殺を考えた。さらに息子ががんを患っていると判明したときには、魂を失ったように叫び、走った。
北部紅河デルタ地方ナムディン省に住む文学教師のドー・ティ・ゴアンさんは、ほんの数年の間に、次々と乗り越えがたい辛い出来事に見舞われた。2012年5月のある午後、ゴアンさんは夫が所属する東南部地方ドンナイ省ビエンホア空港の部隊から、夫が喘息の発作で死亡したとの電話を受けた。
結婚して10年経つものの、夫婦が一緒に過ごした時間は20か月にも満たず、ゴアンさんは現実を受け止めることができなかった。「夫がいなくなり、遠くに存在していた心の支えもなくなってしまいました。私は絶望し、これ以上もう生きていたくないと思い、目を閉じて自暴自棄にバイクを走らせました」。現在、ナムディン省ハイハウ郡ハイスアン中学校の教師をしているゴアンさんは当時の心境をこう語った。
しかし、ゴアンさんには当時9歳と4歳の子供がいた。両親と義両親は、子供たちのために現実を見て、落ち着いて悲しみを乗り越えるようゴアンさんを諭した。そして、夫に代わり親孝行をすること、しっかりと子供たちを育てていくことが新しい人生の目標となった。毎日教壇に立ち、生徒たちに文学への愛情を伝えることも、ゴアンさんを落ち着かせる助けとなった。
しかし、ゴアンさんを苦しめたのは夫の死だけではなかった。2018年の冬、当時11歳だった息子のグエン・ブー・ズイ君が頻繁に頭痛と吐き気に襲われるようになった。地元の医者は副鼻腔炎と診断して薬を処方したが、その薬を飲んでも症状は一向に治まらなかった。
ゴアンさんは息子をハノイ市にあるベトドク(越独)病院に連れて行ったが、病院に着くと急にズイ君の瞳孔が開き、脚も麻痺して歩くことができなくなった。ズイ君は一晩中、耐え難い頭痛のため、自分の頭を叩き続けた。
「私の子供を助けてください」とゴアンさんはすぐに手術をしてもらうよう医師に懇願した。ズイ君は頭痛を軽減させるため、脳の圧力を下げる開頭手術を受け、その3日後に行われた2度目の開頭手術で脳腫瘍が摘出された。
旧暦12月23日の手術後、ゴアンさんは、息子はすぐに退院して家に帰れるだろうと簡単に考えていた。しかし、テト(旧正月)直前の旧暦12月28日に退院の準備をしている最中、医師に呼ばれ、「これから病気との長い闘いになります。お子さんの病気は悪性脳腫瘍です」と告げられた。