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さらに、ハイフォン市でバオさんと一緒に暮らしていた父方の祖父母も苦労の末に亡くなり、バオさんは再びクアンナム省に戻ることとなった。2人の頼みの綱となったのが、母方の叔父の家の屋根裏部屋だったのだ。
父方の祖母であるトゥアットさんは、自分が高齢であるがゆえ、2人の孫が人生の重要な時期を迎えているにもかかわらず、何もしてあげられないのだと悔しそうに打ち明けた。
「まだ若く元気だったなら、私も家政婦の仕事をして孫を大学に行かせることもできたでしょうが、背中も曲がり、髪も真っ白になってしまった今はもう無力です。野菜があれば野菜を食べ、お粥があればお粥を食べて1日1日を凌ぐような生活でしたから、2人が同時に大学に進学するときのことなんて考える余裕もありませんでした。今、進学したくても、まとまったお金もありません。これからの長い道のりがどうなるのかは、あえて考えないようにしています」とトゥアットさんは言葉に詰まった。
この数日間、バオさんとロックさんはこれからの日々について夜な夜な話している。ロックさんはトゥアティエン・フエ省で医学を学び、バオさんはクアンナム省に残って販売の仕事をしながら、他の仕事も探す予定だ。
「そうすることでしか、ロックを医大に6年間通わせることはできません。僕が働いてお金を稼ぎ、ロックに仕送りします。そして、いつか調理師の道に進めるよう、自分のためにも貯金をします。安定した仕事に就ければ収入も増えて、自分の夢にも近付き、家族を支えることもできます。小さいころからアルバイトをしていたので慣れています。大学には行けなくても、調理師になるという夢は変わりませんし、この経験がいつかプロの現場で働くときの糧になるはずです」とバオさんは語った。