20世紀後半~現在:ファッションとしてのアオザイ
1960年代は、サイゴン(現在のホーチミン市)でラグラン袖のアオザイが考案された。ラグラン袖のアオザイは、袖を首から脇まで斜めに縫い合わせ、つなぎ目に沿ってボタンを配する。この形にすることで脇の下のしわを最小限に抑えるほか、布を身体の曲線にぴったりと沿わせながらも腕を快適に動かすことができる。
これ以降、ベトナムのアオザイはラグラン袖が主流となり、現代のデザインが形作られていった。
1960年代初頭には、ベトナム共和国(南ベトナム)初代大統領ゴ・ディン・ジエム(Ngo Dinh Diem)の実弟で大統領顧問を務めていたゴ・ディン・ニュー(Ngo Dinh Nhu)の妻、マダム・ニュー(マダム・ヌーまたはマダム・ゴ・ティン・ヌー、本名:チャン・レ・スアン=Tran Le Xuan)が、襟元の大きく開いた丸首やボートネックのデザインのアオザイを考案した。当時は伝統や公序良俗に反するという理由で批判されたが、現在では熱帯気候に適した快適さから人気を集めている。
1960年代にはさらに、ファッション性が高いとして裾の長い伝統的なアオザイが評価されるようになった。この頃、オープンな考え方を持った都市部の女性たちは、ウエストをタイトに絞ったアオザイを着て身体の曲線を強調するため、ブラジャーを着用するようになった。
1960年代の終わり頃には、便利さと快適さから上衣の丈の短い「ミニアオザイ」が女子生徒たちの間で流行した。上衣の裾は幅が狭く膝丈で、身頃はウエストが詰まっていないものの身体のラインに沿って縫われていた。
1970年代以降、生活の大きな変化に伴い、アオザイを街中で見かけることは徐々に減っていった。しかし、2000年からは、ボー・ベト・チュン(Vo Viet Chung)やシー・ホアン(Si Hoang)、トゥアン・ベト(Thuan Viet)といったデザイナーたちが様々なデザインや素材のアオザイコレクションを生み出し、アオザイが再び注目を集めるようになった。最近ではジーンズと合わせるアオザイなども考案されている。
ミスコンなどの国際的な美の祭典では、ベトナム代表が身につける衣装として常にアオザイが第一候補に挙がる。2014年にはホーチミン市9区に「アオザイ博物館」がオープンし、同市では毎年「アオザイフェスティバル」が開かれるなど、この民族衣装の伝統を守る動きが活発になっている。
最終更新:2019年8月23日 13:20 JST