年のころは60歳過ぎ、頭髪とひげに白いものの混じる男性が道ばたに座ってマンドリンを奏でている。その音色はサイゴンの暑さも和らぐ気がするほど心地よい。サイゴン大教会近くの4月30日公園で毎日昼ごろ見られる光景だ。
彼の周りにはいつも若者や観光客がいる。時には公園を散歩する人も引き寄せられてくる。ひとしきり酔いしれるように歌った後、彼は私の視線に気付いたのか、「もっと近くにいらっしゃい。一緒に歌おう」とやさしく笑いかけた。
見知らぬ私のインタビューに対し、彼はまるで親しい友人に話すかのように答えてくれた。「私の名前はハイ。昔は技術者をしていたが今はもう引退している。家にいてもつまらないし、こんなに気持ちいい場所はほかにないからね、ここに来て毎日マンドリンを弾いているんだ。ここなら一緒に歌ってくれる人もいるからね」
インタビュー中に外国人の団体がマンドリンを見て寄ってくると、彼はとても自然な英語であいさつした。彼らは少し驚いた様子だったが、そこからは会話が弾んだ。彼の英語はかなり流ちょうだった。聞くと英語のほかにロシア語やフランス語も話せるのだという。
家族について尋ねると、彼は答える代わりに自作の曲を弾いた。悲しげな曲だった。弾き終えると彼は遠くを見る目をしてこう言った。「子どもはたくさんいるよ。ここにいる人たちはみんな私の子どもだからね。でも自分の家族はいないんだ」
昼休みの時間が終わりに近付くと、彼を囲んでいた人の数も減っていく。しかし彼はそこに座ったまま、人生の歌を静かに奏で続けた。老楽師のマンドリンは、都会の騒音をものともせず今日もそこら中に響き渡る。