難病に苦しむ若い2人は、共に苦痛を乗り越え幸せをつかんだ。これはそんな2人の愛の物語。
18歳、将来に夢膨らませる人生で最も美しい時期。チャン・ティ・フオン・ニュンもまたそんな一人だったが、その時彼女は腎不全という重い病気に侵されていた。両親は必死で各地の病院へ彼女を連れて回ったが、病状はさらに重くなるばかり。
彼女の唯一の友達は日記だった。「腎不全、先生が言うには私の心臓はだんだん動きを止めていっているらしい。もう終わりだ。もう普通の女の子みたいな生活を送ることはできないんだ」。病状が悪化した時には、次のように書いている。「息苦しさ、心臓の痛みや動悸などをただやり過ごすしかない。つらい夜には寝返りばかりうっている。寝ていられなくなると狂犬のように部屋の中をうろつき、中毒患者のように薬を探し求める。食欲はないがのどはやたらと渇き、水を飲みたいけれどそれにも制限があって自由には飲めない」。自殺を考えたこともあるという。「道を歩いているとよく思ったわ。いっそ車にひかれてしまえば、苦しむこともなくなるのにと」
27歳のチュオン・ビエット・フオンもまた、腎不全に苦しんでいた。彼は北部のライチャウ省で働いていたが、自分の足が日々衰えていくのを感じていた。ハノイに出てきて医者に見てもらったところ、医者から告げられた病名は腎不全だった。彼は2000年の4月から腎不全の療養センターに入ることになった。「病気のせいで仕事も日常生活もすべてその中で行わないといけなかった。仕事はないし、お金もない。恋人もいないし、将来さえないような気がした。すべてがベッドの中。もっと重い症状の人を見ていると希望も何も消えていった」
しかし、運命はいつまでも2人を離ればなれにはしておかなかった。愛の神様が彼らにほほえんだのだ。ニュンの母が病室の外で待っているとき、いつも会う青年がいた。それがフオンで、彼の境遇を知った母はおこわや軽食を買っておいて渡すようになった。その後、フオンはたびたびニュンの家を訪れるようになる。そうするうちに、母が冗談で「彼があなたのお婿さんになればいいのにね」などということもあった。
そして「特別な日」はやってきた。彼らを新しい愛情ある生活、生きる望みのある生活へと導いた日。2003年8月3日、雨が降る寒い夜だった。フオンがレインコートを着て現れると、手には美しいバラの花束を持っていた。その記念すべき日から2人の体調は次第に良くなっていき、ハノイへ2人で出かけるまでになっていた。
2005年8月、2人は結婚する。2人の親族が集まり、シンプルながらもあたたかい式を挙げた。「今、私には家族も家もある。たのもしい夫もいる。かつて夢見たように」。ニュンの日記は幸福な日記に変わった。今も2人は週に3回療養センターへ通っている。フオンがバイクタクシーで稼いで家計を支え、ニュンは家事をこなす。まだまだ大変なことには変わりないが、彼らを見ているととても幸せな日々を送っていることがわかる。
「他の人と同じ、ごく普通の生活。もう病気だってこともあまり意識しなくなったわ」とニュンはいう。フオンと一緒に食事や睡眠に気をつけ、透析に行く。これこそが愛だと思うの」。ニュンにとって愛とは単なる男女間の感情にとどまらず、生活すべてに対する愛なのだ。
「重い腎不全患者は余命10年と言われています。私が腎不全になって4年が経ちました。時がたつのは本当に早いものね。私にはもうあまり時間がないの。生きたい。心の底から生きたいと思う。今こうして頑張っているのは、楽しく意味のある人生を送りたいからなの」。そして彼女は今の夢を語った。それは元気になって見慣れた道を自転車で走ることだという。
最後に彼女の日記から。「今日しかないなんて思わない、明日もあさってもあるのよ。試練は人を強くするわ。最後までやり遂げることに意味があるの」