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大阪府堺市堺区の堺環濠都市遺跡で、17世紀ごろにベトナム南中部で作られたと見られるチャンパ王国の陶磁器「施釉四耳壺(せゆうしじこ)」の破片が日本で初めて出土していたことが明らかになった。
今回確認された施釉四耳壺片は、釉薬の一種である灰釉が施されたもの。堺市博物館で開催される企画展の準備中に過去の出土遺物の中から確認された。破片は17点で、壺の口縁部から底部まで残存しており、復元すると口径約17cm、器高約34cmになるという。
日本では、これまでに福岡県大宰府で南中部沿岸地方ビンディン省ゴーサイン窯のものと見られる15世紀代のチャンパ陶磁(皿)が出土しているが、17世紀の施釉四耳壺の出土は今回が初めて。
文献資料によると、慶長年間(1596~1615年)ごろ、チャンパ王国には日本から朱印船が渡航しており、慶長11年(1606年)には徳川家康がチャンパ国王宛に親書を送り、香木を懇求するなどの交流があったとされている。
堺環濠都市遺跡の施釉四耳壺片は2012年5~6月、慶長20年(1615年)大坂夏の陣前哨戦によって被災した建物跡の焼土層から出土したもの。年代の明らかな層に共伴していたことから、ベトナム陶磁器における年代決定の基準資料となり得るほか、これまでは文献資料でしか知られていなかった当時の日本とベトナム間の貿易や交流を裏付ける貴重な資料となる。
専門家によると、この種の四耳壺は、チャンパ王国の中心地の1つであるダナン市やクアンナム省ホイアン市などの中部地方では発見されていないことから、南中部地方で生産されたものと考えられるという。また、チャンパ王国の最盛期にあたる13~15世紀以降、特に王国が縮小する17世紀ごろの陶磁器についてはほとんど明らかになっておらず、今回の出土資料はベトナムの陶磁器研究において大きな意義を持つものと期待されている。
なお、チャンパ王国は、2世紀から15世紀後半ごろまでベトナム中部から南中部にかけての沿岸地方に存在したベトナムの初期国家。ダナン市やクアンナム省の中部地方は同王国の初期の中心地であり、聖地ミーソン・港市ホイアン・王都チャーキエウの3か所を中心として栄えたとされる。後に中心地は南中部地方のクアンガイ省及びビンディン省の地域へ移った。
同出土遺物は、堺市博物館で3月21日から4月19日まで開催される企画展「タイの古陶磁III~アユタヤ王朝とミャンマーの優品~」で展示される。