米国在住の越僑には、老後を祖国ベトナムで暮らしたいと考える人が多いが、グエン・ディン・ウエン博士は少し違う。ウエン博士は42歳にして、祖国の教育・研究に貢献しようと帰国を決意、2年前からホーチミン市国際大学で学生の指導と研究に打ち込んでいる。
(C) VNExpress, Vu Le |
ウエン博士は1968年にベトナムで生まれ、13歳のときに家族と一緒に渡米した。1990年にカソリック・ユニバーシティ・オブ・アメリカの電子通信工学科を卒業し、その後同大学の修士・博士課程で研究を続けた。大学院卒業後は、1989年から1995年までアメリカ航空宇宙局(NASA)でエンジニアとして働き、1995年から2008年まで通信技術に関する米国国防省のコンサルタントを務めていた。そんな中、ウエン博士は仕事の傍ら、2006年からベトナム教育基金(VEF)の活動に参加するようになった。
VEFのプログラムで、ウエン教授は年に2週間、ベトナムの大学で講義を行っていた。ある日の講義で、ウエン博士は学生たちに、一生懸命勉強して奨学金を得て、海外の大学で学び、そこで会得した研究成果や経験をベトナムへ持ち帰り、国の教育と技術に貢献すべきだと話した。すると1人の学生から、「先生はどうしてベトナムに帰国して国に貢献しないんですか?」と質問され、ウエン博士ははっとさせられたという。
米国に戻っても学生の言葉が脳裏から離れず、ウエン博士はベトナムへの帰国を真剣に考えるようになった。帰国を決意したウエン博士は、妻と娘に相談したが猛反対されたという。しかし、ウエン博士は諦めることなく家族を説得し、遂に祖国ベトナムへの帰国に踏み切った。そして現在、ウエン博士はホーチミン市国際大学電子通信工学部で教鞭をとっている。
給与は低くはないが、まだマイホームを買う余裕はなく、ウエン博士一家は親戚の家に同居させてもらっている。また、ウエン博士はベトナム人の暮らしに適応しようと、4区の家からキャンパスがあるトゥドゥック区まで毎日バス通勤をしている。帰国当初は英語しか話せなかった末娘も、今では流暢なベトナム語で家族や友達と話すようになったと語るウエン博士の顔がほころぶ。
ウエン博士が大学で一番初めに教えたことは、お金がなければ研究できないという固定観念を捨てるということ。次に、学生たち自身で小さな共同研究から始めることを呼びかけた。また学生たちに奨学金の申請の仕方を指導し、自身のネットワークを活かして学生を海外の教授に推薦した。これまでにウエン博士が海外に送り込んだ学生は20人に上る。
大学でのウエン博士と同僚、学生たちの研究テーマは、交通情報・水環境観察への通信システムの応用や、南中部の特産物であるドラゴンフルーツの栽培用ライトの開発など多岐にわたる。また大学外では、海外在住ベトナム人グループと協力して、貧困層の多い遠隔地の橋梁に太陽エネルギーを利用した外灯を設置した。
ウエン博士は、暮らしに密着した小さな研究開発の積み重ねにより学生の科学への志を育てることをモットーに、今日も学生たちと研究に励んでいる。