南中部沿岸地方 クアンナム省 ズイスエン郡に位置する ミーソン聖域(Thánh địa Mỹ Sơn) は、チャンパ王国(192年~1832年)時代の聖地であり、ベトナム戦争の戦地となった遺跡です。1999年、山に囲まれたミーソン聖域の3.1km2の範囲が、ユネスコの世界文化遺産に登録されました。
(C) VIETJO Life ミーソン聖域と聖山(右)
「美しい山」の歴史
ミーソンは、ベトナム語でMỹ Sơn(美山)、つまり「美しい山」を意味します。その名の通り、ミーソン聖域は聖山(サンスクリット語で マハーパルヴァータ(Mahaparvata) )の南麓に広がっています。
このマハーパルヴァータ、地元の人々はベトナム語で 猫の歯の山(núi Răng Mèo) と呼んでいます。頂上が歯のように尖った形で、数十km離れていても、どの方角から見てもすぐにそれとわかります。かつてミーソンの地を聖地として崇めていた人々は、このマハーパルヴァータを目印にして祈りを捧げていたと考えられています。
(C) VIETJO Life 約20km離れたチャーキエウ教会の高台から望む聖山
ミーソン聖域は、4世紀後半にバドラヴァルマン1世(Bhadravarman I)という王がヒンドゥー教のシヴァ神を祀る木造の祠堂を建てたことに始まるとされています。碑文によると、この木造の祠堂は後に焼失してしまい、7世紀にレンガで再建されたといいます。それ以降、歴代の王たちがいくつもの宗教施設を建て、現在は7~13世紀末に建てられた約70のレンガ造りの建造物が残っています。
フランス植民地時代の20世紀初頭、ベトナムの歴史学や考古学の調査・研究の基礎を築いたフランス極東学院(EFEO)のフランス人研究者らによって、各地で約200ものチャンパ遺跡が発見され、調査・研究が行われるようになりました。ミーソン聖域の建造物に名付けられている「A1」などの遺構ナンバーも、EFEOの研究者が分類したものです。
チャンパ王国の歴史
ミーソン聖域を聖地としていた チャンパ王国 は、ベトナムの中部から中南部にかけての海岸沿いで、2世紀末頃から15世紀頃まで栄えたチャム族の国家です。海のシルクロードの拠点として、アラブ諸国、インド、中国との中継貿易を行っていました。17世紀に完全に滅びるまで、近隣諸国との争いを繰り返したとされています。
チャンパ王国は、東南アジアでも早い時期にインドの影響を受けてヒンドゥー教を崇拝し始めました。後に仏教が国家の宗教として崇拝され、土着信仰を取り入れながら独特の文化を形成しました。
4世紀頃から8世紀頃、チャンパ王国の初期の中心地は、クアンナム省とその北に位置するダナン市のあたりで、特に「商業の中心地: 貿易港ホイアン(Hội An) 」「政治の中心地: 都城チャーキエウ(Trà Kiệu) 」「宗教の中心地: 聖地ミーソン 」の3か所が要衝でした。この3か所は近接して東西軸に配置されており、周辺にはミーソン聖域のほかにも複数のチャンパ遺跡が点在しています。
クアンナム省を流れる トゥーボン川(Sông Thu Bồn) は、南シナ海に続くだけでなく、クアンナム省の内陸までいくつもの支流に分かれています。このトゥーボン川の河口に位置する世界文化遺産のホイアンは、交通や貿易の要衝となっていました。チャンパ王国にとって「川」は重要なポイントで、いずれの遺跡もほぼ川の近くに配置されています。
(C) VIETJO Life ホイアンとトゥーボン川
また、チャーキエウに関しては、高台に建てられたピンク色のカトリック教会の麓に今でもチャンパ王国時代の長方形の土塁(城壁)が残っています。現在は城壁部分が土で覆われて小高い道になっており、城壁沿いに民家が並んでいますが、ベトナム人や日本人の考古学者による発掘調査で土に埋もれたレンガの列が発見されています。
ミーソン聖域を観光しよう
ミーソン聖域までは、ダナン市から車で約1時間半、ホイアン市からは約1時間です。入り口には、観光客向けのサービスセンターがあり、ここから少し歩くと赤茶色のレンガ造りの建造物が見えてきます。
ミーソン聖域を観光する場合、個人で行くことももちろんできますが、ホイアン市の旧市街にある旅行会社などで、ホイアン市発着の外国人向けツアーがいくつも組まれています。ミーソン聖域だけのツアーもありますが、川下りなどのアクティビティが含まれるものもあります。
初めての場合、こうしたツアーを利用すると往復も安心ですし、ガイド付きで効率よく見学できるでしょう。料金も十数USDから30USDくらいまでと様々です。ただし、ツアーは遺跡内を見学する時間が限られていますので、ゆっくり見学したい方は個人で行かれることをおすすめします。
ミーソン聖域の建造物群
(C) VIETJO Life 建造物群
ミーソン聖域では、周壁に囲まれた区域内に、◇主祠堂、◇副祠堂、◇小祠堂、◇聖水庫、◇宝物庫、◇碑文庫などの建造物が点在しています。周壁には、祠堂入口に向かう楼門があり、主祠堂の正面は日が昇る東を向いています。
また、儀式を行う空間でもあった祠堂の内部には、シヴァ神の象徴である「 リンガ(男根) 」が「 ヨニ(女陰) 」の上に置かれています。
(C) VIETJO Life リンガとヨニ
ミーソン聖域に限らず、チャンパ遺跡のレンガ造りの建造物は、接着剤を使用せず、レンガの面同士を擦り合わせることによって接着させて積み上げる技術が用いられています。壁面の美しいレリーフ(浮き彫り)は、レンガを積み上げた後に施されました。
積み上げ方も高度で、屋根はレンガを狭い幅で少しずつずらしながら上へ積んでいく「 迫り出し構造 」で築かれています。この技術により、建物をより高くすることで、内部空間が少しでも広くなるように工夫がなされています。
(C) VIETJO Life 迫り出し構造で築かれた屋根
遺跡内にはたくさんの建造物や彫刻、石像、柱、リンガ、ヨニ、碑文などが、時には整然と置かれ、時には雑然と放置されています。建造物の一部は今にも崩れ落ちそうだったり、もはや形を失い草に埋もれて単なるレンガの山と化していたり。
これは、適切な保存・修復がなされてこなかったことによる風化の痕跡である一方、長く続いたベトナム戦争の爪痕でもあります。米軍の爆撃で、数多くの建物が破壊され、かつて28mの高さを誇った祠堂「A1」もレンガの山となりました。地面に開いた爆撃による穴も、遺跡のあちこちに残っています。
(C) VIETJO Life 戦争で最も大きな被害を受けたAグループ
比較的よく残っており見ごたえ十分な建造物のグループは、 B・C・Dグループ 。ツアーでもこれらを中心に見学することになります。中でも祭祀に関する用具や宝物を保存する「 宝物庫 」は、長方形の平面に舟形の屋根がかけられており、今なお美しい姿を保っています。
(C) VIETJO Life 宝物庫「B5」
ミーソン聖域の遺物を展示している博物館など
遺跡内の一部の建造物が彫刻展示室となっているほか、遺跡の外には2005年に日本の国際協力機構(JICA)の協力によって建てられた展示館があります。日本語併記のパネルや写真なども展示されており、ミーソン聖域の概要を知ることができます。
(C) VIETJO Life 展示館
ミーソン聖域の遺物を最も多く展示している博物館は、 *ダナン市チャム彫刻博物館 (Bảo tàng Điêu khắc Chăm thành phố Đà Nẵng)です。ここには各時代・各地域のチャンパの遺物が集められています。外国人向けに英語も併記されています。
また、ハノイ市の *ベトナム国家歴史博物館 (Bảo tàng Lịch sử quốc gia)と、 *ホーチミン市ベトナム歴史博物館 (Bảo tàng Lịch sử Việt Nam thành phố Hồ Chí Minh)などにもミーソン聖域を含むチャンパ遺跡の遺物が展示されています。
世界文化遺産で一大観光地とは言うものの、「炎天下の中を歩くのも暑いし、ただのレンガの山だし・・・」と思われがちなミーソン聖域ですが、聖地として、また戦地としての歴史に思いを馳せながら見学してみると、新たな発見があるかもしれませんよ。
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