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8月革命の日~ベトナムの8月19日~

// JST配信
8月19日は 8月革命の日(Ngày Cách mạng tháng Tám、ガイカックマンタンタム) です。 総蜂起の日(Ngày Tổng khởi nghĩa、トンコイギア) と呼ばれることもあります。1945年8月15日に日本が無条件降伏したのを受け、ベトナムでは17日にベトナム独立同盟(ベトミン)が蜂起し、19日にはハノイを制圧。この出来事を8月革命と呼びます。この8月革命を直接のきっかけとして、半月後に 東南アジア最初の社会主義国家である「ベトナム民主共和国」が成立しました

(C) NgBK
 

8月革命の概要


ベトナムはフランスの植民地となっていましたが、第二次世界大戦で宗主国フランスがドイツ軍に降伏して、フランスに親ナチス政権であるヴィシー政権が誕生。1940年に、ヴィシー政権と手を結んだ日本軍がベトナムへの進駐を開始します。

フランス軍と日本軍に対抗すべくホー・チ・ミン氏らが結成した ベトナム独立同盟会(Việt Nam Ðộc Lập Ðồng Minh Hội=越南独立同盟会、略称:ベトミン) は、日本と交戦中の米国や中国から支援を受けつつ、仏日両軍を相手にゲリラ戦を展開していきます。

1944年にヴィシー政権が崩壊し、徐々に日本の敗戦が色濃くなる中、1945年3月9日にベトナム駐留日本軍は、フランス植民地政府を打倒し、名目上共同支配となっていたベトナムを完全な支配下に収めます(仏印処理)。フランスの庇護下で存続していたベトナム王朝の阮朝は、日本への協力を約束し、ベトナム帝国を樹立します。

しかし、日本の敗戦がほぼ決定的になったと見たホー・チ・ミン氏は8月13日、総蜂起の指令を発出。日本の無条件降伏後の8月17日、ハノイ市でベトミン扇動の大衆デモが起こり、武装蜂起へと発展。 19日にはベトミンがハノイ市にある政府機関の制圧に成功し、「8月革命」と呼ばれるようになりました。

その後、この人民蜂起はフエ、サイゴン(現在のホーチミン市)に拡大、8月30日にベトナム最後の皇帝バオダイ(保大帝)が退位します。 日本政府がポツダム宣言に調印した9月2日、ベトナムではホー・チ・ミン氏がベトナム民主共和国の独立を宣言しました。 この9月2日が、ベトナムの 建国記念日 となっています。


(C) NgBK
 

8月革命記念日には何をする?


8月革命は歴史上重要な出来事ではありますが、すぐ後に9月2日の建国記念日を控えていることもあり、節目の年以外は政府機関が比較的規模の小さな式典を開催する程度です。国民も、8月革命についてはもちろん知っているのですが、8月19日が8月革命記念日であることはあまり意識していないようです。「8月革命の日」はあくまでも記念日で、祝日(休日)には指定されていません。
 

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