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ホー・チ・ミン主席誕生日~ベトナムの5月19日~

5月/19/ JST配信
5月19日は、現在のベトナム国家の礎を築いた 故ホー・チ・ミン(Hồ Chí Minh=胡志明)主席の誕生日 です。ホー・チ・ミン主席が生まれたのは1890年のこと。ベトナムがフランス植民地だった時代からベトナム戦争までベトナムの革命を指導し、ベトナム戦争中の1969年9月2日に亡くなりました。毎年5月19日には、テレビでホー・チ・ミン主席の功績を称える番組が数多く放映されるほか、早朝から記念式典などが開催されますが、あくまでも「記念日」であり、国の祝日ではないので、お休みにはなっていません。


ホー・チ・ミン主席(1946年頃)

ホー・チ・ミン主席の誕生日のことをベトナム語で Ngày sinh Chủ tịch Hồ Chí Minh(ガイシン チューティック ホーチミン) または Ngày sinh nhật Bác Hồ(ガイシンニャット バックホー) と呼びます。Ngày sinhとNgày sinh nhậtはどちらも「誕生日」の意味。Chủ tịchは「主席」、Bác Hồは「ホーおじさん」です。

(c) NgBK

 

なぜ「ホーおじさん」なの?


Bácは自分の父方の伯父・伯母(父親より年上の兄弟)に対する人称ですが、身内でなくても自分の父親より年上の年代の人に対して使うことができる言葉です。日本人が近所の人を「おじさん」と呼ぶのと同じような感覚で、 ベトナムの人々は親しみをこめて「Bác Hồ(ホーおじさん)」と呼んでいます。 通常ベトナムでは人を呼ぶときファーストネームを呼ぶのですが、なぜか「ミンおじさん」ではなく「ホーおじさん」と苗字で呼ばれています。ホー・チ・ミン主席自身も文書に署名する際に「Bác Hồ」を用いることがあったそうです。


(C) NgBK

名前ではなく苗字で呼ぶ理由には諸説あるのですが、ホー・チ・ミンという名前自体が本名ではないこと、(幼名はグエン・シン・クン〔Nguyễn Sinh Cung=阮生恭〕で、そのほかグエン・タト・タイン〔Nguyễn Tất Thành=阮必成〕、グエン・アイ・クォック〔Nguyễn Ái Quốc=阮愛國〕などと名乗っていたとされる)や、海外で活動していたときに苗字で呼ばれていたから、などと推測されています。

また、ベトナムでホー・チ・ミン主席以外に苗字で呼ばれている人物として、初代ベトナム社会主義共和国主席を務めたトン・ドゥック・タン(Tôn Đức Thắng=孫德勝)や国民的音楽家のチン・コン・ソン (Trịnh Công Sơn=鄭公山)がいますので、苗字で呼ぶことには、偉大なる人物に対する尊敬の念を表す意味が込められているのかもしれません。
 

ベトナムの人々が初めてホーおじさんの誕生日のお祝いしたのは


ホー・チ・ミン氏は、1890年にベトナム北中部 ゲアン省 で生まれました。貧しい家庭でしたが、儒学者だった父親の影響で幼少から論語を読んで中国語を習得。父親が阮王朝の宮廷に仕えるようになり都のフエに転居すると、官吏養成学校でフランス語も習得。その後、船員としてあちこちの国へ行く中で、共産主義者となっていきます。


若かりし日のホー・チ・ミン主席(1921年頃)

彼の人生についてはまた別の機会に詳しく紹介するとして、ここでは、ベトナムの人々が初めてホーおじさんのお誕生日をお祝いしたときのエピソードを紹介したいと思います。

第1回目の「誕生記念日」となったのは、1946年5月19日。第二次世界大戦が終わってベトナム民主共和国が成立したあと、初めて迎えたホー・チ・ミン初代国家主席の56歳の誕生日のことです。ホーおじさんはこのとき、このように漏らしたそうです。

「みなさん盛大に私の誕生日を祝ってくれますが、私はまだ56歳で、長生きをお祝いされるような歳ではなく、まだ青二才ですよ。北部の皆さん、穏やかで楽しそうな様子を見ていると、私は恥ずかしさを覚えます。南部はまだ平和が訪れていないというのに・・・」

しかし、最初の誕生日を祝ったことで、人々は5月19日が国家主席の誕生日だと知ってしまい、あちこちで誕生日を祝う式典やパーティーが開かれるようになりました。そのため、ホー・チ・ミン主席は、「長引く戦争で人民の生活はまだ困難にある中、時間とお金を浪費すべきではない」とパーティーなどを開催しないよう行政機関などに通達しましました。そして、誕生日の日に国内にいるときは、式典やパーティーなどには出席せず、地方に行って人民と過ごしたと伝えられています。


(C) NgBK

ホー・チ・ミン主席は、ようやくベトナム戦争終結に向けた動きが見え始めた1969年9月2日に、突然の心臓発作で79歳の生涯を閉じました。ベトナムでは元々誕生日を祝う風習がなく、フンブオンの命日が祝日となっているとおり、偉人の命日を記念日とすることが多いのですが、ホー・チ・ミン主席がなくなった9月2日は奇しくも 建国記念日(国慶節) と同じ。そのため、命日ではなく誕生日を記念日としたのではないかなと思います。


(c) NgBK, 各民族の子供たちが持つ星は
ベトナム国旗にある黄色い星で、革命の象徴

同じ民族が南北に分かれて戦ったベトナム戦争では数多くの悲劇が生まれ、南が北に屈する形で終結しました。ホー・チ・ミン主席は植民地支配からの独立に導いたという功績だけでなく、清廉潔白な人格者として、かつての南ベトナムの人々にも尊敬されていますが、やはりホー・チ・ミン主席に対して複雑な思いを持っている人もいます。軽々しく「ホー・チ・ミン主席の誕生日おめでとう」などと言わないほうが無難かもしれません。

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