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ベトナムでは女性の日が年に2回あり、3月8日の国際婦人デーのほか、10月20日
は 「ベトナム女性の日(Ngày Phụ nữ Việt Nam、ガイ フーヌー ヴィエットナム)」 に定められています。
国際婦人デーの由来
3月8日という日に制定されたのは、1904年に米国ニューヨークで婦人の参政権を求めるデモが起こった日付に由来しています。ドイツの社会主義者で「女性解放運動の母」と呼ばれていたクララ・ツェトキンが、1910年にコペンハーゲンで行われた国際社会主義者会議で、この日を女性の政治的自由と平等のために闘う記念の日とするよう提唱したのが始まりでした。かつてはこの日に女性たちがデモを行うなど、政治色が強い記念日でしたが、1966年にソ連がこの日を国の休日に定めると、政治色が次第に薄れ、女性の美しさや母性を讃える日へと変貌していきました。国連は国際婦人年にあたる1975年に、正式にこの日を「国際婦人デー」と定めています。
ベトナムでの国際婦人デーの歴史
ベトナムでは元々、ベトナムの歴史上最も強く最も有名な姉妹ハイ バー チュン(Hai bà Trưng、2人のチュンという女性)の命日とされている旧暦2月6日(新暦で3月上旬ぐらい)を「女性の日」としており、南ベトナム(ベトナム共和国)では国の祝日となっていました。ベトナム北部が中国支配下にあった1世紀、チュン姉妹は大反乱を起こして、姉は自ら「王」を称し、僅か3年ではありますが、中国の支配から脱しました。この功績は現在まで高く評価されています。
(c) VIETJO Life, 「ハイバーチュンの蜂起から1975年」と書かれている
一方、国際婦人デーについてはあまり知られていませんでしたが、共産党率いる北ベトナム(ベトナム民主共和国)のホー・チ・ミン主席が1965年3月8日、国際婦人デーの機会に、南ベトナムで共産党のために戦う女性たちの功績を讃え、この女性たちに勲章を授けました。但し、ベトナム共産党は1930年10月20日に「ベトナム反帝婦人会」(現在のベトナム婦人連合会)が発足したのを記念して、この日を「ベトナム女性の日」としていたため、3月8日の国際婦人デーについてはあまり関心が払われていませんでした。
1975年にサイゴンが陥落し、南北が統一されると、ハイバーチュンの命日である南ベトナムの「女性の日」の祝日はなくなってしまいましたが、ちょうど同年に国連が正式に「国際婦人デー」として定めたこと、ハイバーチュンの命日と国際婦人デーの日付が近かったことから、南部を中心に国際婦人デーが祝われるようになっていきました。
そのため、 現在でも「女性の日」といえば、北部の人は10月20日、南部の人は3月8日をまず思い浮かべます が、歴史が下るにつれ、両方とも全国的に浸透しつつあります。どちらかというと10月20日のほうが女性問題にまじめに取り組む日で、3月8日のほうはプライベートを中心に女性を讃える日になっています。
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国際婦人デーに男性は何をする?
ベトナム女性の日と同様、国際婦人デーも男性が妻や恋人、母親、学校の先生など、身近な女性に花などのプレゼントをしたり、代わりに家事をやって女性を休ませたりする日になっています。
やはりプレゼントは花が定番。バラの花は通常の価格の倍以上に跳ね上がります。この日は道端ににわか花売りがたくさん登場。学生の小遣い稼ぎの機会となっているようです。そのほか、お菓子やシャンプー、衣料品などあまりお金のかからないものから、経済発展に伴い、高級化粧品や宝飾品をなど高価なものをプレゼントする人も。女性の日のコース料理やビュッフェを用意するレストランも増えてきました。
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職場では男性がお菓子を配ったり、ランチをご馳走したり。会社主催でイベントを行ったり、女性だけ小額のボーナスやプレゼントを支給したりします。もしこういった女性への心遣いが全くない職場であれば、女性はすぐ辞めてしまうといっても過言ではありません。もちろん、 ベトナム人の奥さんや彼女持ちの人が女性の日を忘れてしまったとしたら、悲惨な結果が待ち受けていることでしょう。 お気をつけください!